むなしさとともに

一切の悲しみが尽き果てるまで、共に歩む twitter https://twitter.com/oujouwogosuru?s=09 

念佛

雨音が聞こえる

今、雨がしとしと降っています。 雨音が聞こえます。 雨音が聞こえる=雨が降っています。 イコールでありますが、前後があります。 雨が降っているから雨音がするのです。 念佛が聞こえて下さる=念佛させてやりたいと憶いづめの方がまします。 なぜなら自…

煩悩を摧いてくださる光

解脱の光輪きはもなし 光触かふるものはみな 有無をはなるとのべたまふ 平等覚に帰命せよ 輪の字の左訓 くだく。解脱といふは、悟を開き仏になるをいふ。われらが悪業煩悩を阿弥陀の御光にて摧くといふこころなり。 光触の左訓 光を身に触るるといふこころな…

南無阿弥陀佛と聞かされるばかり

浄土真宗は聴聞に極まるといわれます。 聴聞とはお寺へ足を運び、お説教を聞く。寺を出たあとに生活を通して説かれた法を確かめていく、吟味することです。 (そんな簡単に信じることなどできない、託すことはできない。僕はそうです。確かめる必要がある) …

歎異抄聴記④所行能信

※歎異抄聴記は非常に難解なので、いったん十を目安にやってみようと思います。 行は背景である。歴史的背景である。行は歴史的現実である。歴史的現行であると了解すべきである。されば、信なるものは、行を信ずるのではない。すなわち、行のそとにあって行…

聞名の念佛

南無阿弥陀佛とは、佛の名である。 このことを疎かにしているのでないかと思う。 念佛を申すというのは、佛の名を称えることであり、称えることは即聞くことである。 自問する。 佛の名を称えるような心が自分にあるか? 否、皆無である。 どこをどう探しても…

少しずつ再開していきます

春の嵐というのでしょうか。 なかなか雨風が強く、外出にも一苦労でした。 一区切りがついたので、ぼつぼつブログを再開しようと思います。 この2ヶ月で、体調を崩したり、ほぼ聞法には行かずに過ごしていました。まぁTwitterは結構やってしまっていました…

追記あり:暫く間があくと思います

ここのところ、ブログのようにまとめて書くというよりは、その時々に、例えば、出勤、帰宅中のようなタイミングで使えるツイッターが主になっています。 また、聴聞それ自体も、コロナ禍では慎重にならざるを得ず、休日は家で過ごす有様です。 仕事も恐らく…

お念佛に親しむ

親鸞聖人の教えを聞く人であれば、やはり、お念佛を申すということに親しむことが肝要であろうと思う。 親鸞聖人は諸善を勧めておられず、極重悪人唯称佛とお念佛を申しなさいと仰っておられる。 また特定の人から聞かねば信心決定しないなどということは微…

年末を迎えて

昨日が仕事納めでした。無事終わったので、ビールを久々に頂きました。キリン一番搾り(笑) 今日は家の掃除をしました。やはり、まとまった時間がなければ手をつけられぬ箇所があり、そこもふけたし、洗えたのでよかったです。 さて、一年を振り返ると、や…

特に意味はないし、なくていい

メダカが3匹居る。 彼らに朝食を注ぐところから一日が始まる。 ここであるひとがいうとする。 そのメダカらは汝に何の意味をもたらすか? 自ら答えて曰く。 このメダカらには特に意味はないし、自分にはわからない。パパとチビと呼ぶ。小さなもの2匹に区別…

宗祖親鸞聖人より③本願に帰す

親鸞におきては、ただ念佛して弥陀にたすけられまいらすべしとよきひとの仰せをかぶりて信ずるほかに別の子細なきなり (歎異抄第二条) この言葉は道を定めて下さるお言葉である。 よきひとの仰せをそのまま頂き、念佛するよりほかに道あることなし。 この…

大悲の願船

しかれば、大悲の願船に乗じて光明の広海に浮かびぬれば、至徳の風静かに衆禍の波転ず(東聖典p192顕浄土真実教行証文類行巻) 南無阿弥陀佛とは、大悲の願船である、と親鸞聖人は仰られている。 船とは岸から岸へ渡してくれるものである。 海を渡るのは船の…

宗祖親鸞聖人より②発心

仏法を行ずる人よ、よくよく知らねばならぬ。仏法を知識として学ぼうとするなら、凡夫から聖者にいたり、さらにそのうえ仏果にいたるまでも、みなさわりなく学ぶことができる。しかし、仏法をわが身に行じようとするなら、必ず自分にゆかりのある教えにたよ…

ZOOM研修会でお話したことの引文

一週間前に、ZOOM研修会がありました。 主催の一員ということで、お話をさせて頂きました。 僕は僧侶ではないですし、教学もないですし、講義ではないので、あえて聖典をめくることはしませんでした。 しかし、聖典の言葉を引いてお話はしたつもりなので、こ…

極悪深重の衆生

極悪深重の衆生は 他の方便さらになし ひとえに弥陀を称じてぞ 浄土にむまるとのべたまう(高僧和讃) 他の文字に左訓あり、 余の善、余の菩薩の方便にては、生死出でがたしとなり。 仏の教えとは、自身に引き当てて聞けよと教えられる。衆生と言っても、具…

自覚の信

我々には機の深信が大事である。万死に一生をかけて一歩前進する、これが本願念佛の道というものである。 一応信心決定しても、その信心が自覚の信になることが容易でない。親鸞聖人は法然上人にお遇いなされて一応お解りになったのであろう。 法然上人のお…

如来の本願、称名に顕る

天親菩薩の論、註解して、如来の本願、称名に顕る(浄土文類聚鈔親鸞聖人東聖典p412) かたちを必要としないものが、あえて自分を捨ててかたちを選んで下さったのが称名である。 あの人は誠実な人だ。 何を以てあの人を誠実とする? 彼、彼女はどんな人にも礼…

方便法身の大悲

今日、ZOOMの聞法会に参加させて頂いた。 研修で使ったことがあったが、プライベートかつ、聞法会では初めてだった。 感想は、改めて、その場に足を運ぶことは、それそのものに力があるのだなということだ。 先生は、悩んでおられた。どうすれば毎年継続して…

摂取心光常照護

摂取心光常照護というは、信心をえたる人をば無碍光仏の心光、つねにてらしまもりたまうゆえに、無明のやみはれ、生死のながきよ、すでにあかつきになりぬとしるべしとなり。(尊号真像銘文 親鸞聖人 東聖典p532) 光とは照らすもの。照らすということのはた…

実際に念佛するということ

仏、阿難に告げたまわく、「汝好くこの語を持て。この語を持てというは、すなわちこれ無量寿仏の名を持てとなり」観無量寿経 流通文より。 これは、仏が阿難尊者にだけ仰ることではない。流通文というのは、どうかこのことは必ず後世に伝えてほしいという意…

どうして聞法に行くのか

聞かねばならない、助からぬ身を離れることがどうしてもできないからだ。 どうやっても、この心身の影響を受けざるを得ない。 この身は無明住地から生起しているので、余すところなく円満に煩悩に染まっている。 しかし、だからこそ、汝を助けんという念佛の…

不安と怯え

根本的に不安と怯えを抱えていると思う。 捨てられるのが怖い。要らないと言われるのが 怖い。 怯えがあるから、他者を信頼できない。 怯えがあるから、他者を攻撃し批判する。 怯えがあるのは、不安だからだ。 不安とは、不安定である。 ふらふらして、定ま…

浄土真実の行

大行とは、すなわち無碍光如来の御名を称するなり。この行は、すなわちこれもろもろの善法を摂し、もろもろの徳本を具せり。極速円満す、真如一実の功徳法海なり。かるがゆえに大行と名づく。しかるにこの行は大悲の願より出でたり(顕浄土真実行文類) 親鸞…

佛の仰せ

想起。 やっと出遇うべきものに遇えた。 ようやく自分の願いを思い出した。 一切の悲しみや痛みが終わることが、 自分の根源的な願いである。 差異がなく、差別もない。 貧富もなく、美醜もない。 自由と連帯と尊厳があり、争いや憎しみは言葉すら存在しない…

不退の位

摂取のうえには、ともかくも行者のはからいあるべからず候う。浄土へ往生するまでは、不退のくらいにておわしませ候えば、正定聚のくらいとなづけておわします事にて候うなり(ご消息集 親鸞聖人 p590大谷派聖典) 助かるとは、どういうことか。 実は助かる…

薫習

迷いの種を薫習しっぱなしで悪循環している ところに、悟りの種子・悟りの香りを薫習 していけば、アーラヤ識は変わる、変わりうる。 本質的に私たちの心は実体ではなくて、 種子の集まりとしてある。 だから、種子の集まりの質を次第に 変えてゆき、やがて…

今、ここで、如来は何と仰っているかを聞くばかり

今、ここに存在する、助からぬ自分に、 如来が何と仰っているかを聞くのが、 聴聞である、と 思う。 南無阿弥陀佛とは、タノメタスケルの仰せ。 わが名を称えよ、との仰せ。 故に助けられるよりほかに道なし。 僕にはもう道が残されていない。 それだけの余…

現実における智慧のはたらき

四つの頃から、ずっとむなしさを 抱えていました。存在の意味が分からない、 ということです。今実感するところから 振り返ると。満たされていない。 不安定である。 今も存在の在り方としては、同じです。 しかし、自分は身体ではないし、 目に見えるものを…

大悲の御声

この一声に如来の血と涙が籠もっている。 今口に称えさせて下さり、 耳に聞こえて下さる、この南無阿弥陀佛を 聞くばかり、と先生は教えて下さる。 不平不満、煩悩だらけで申し訳ないことで ありますが、このまま南無阿弥陀佛に 助けられて往生させて頂きま…

摂取不捨の大悲

如来の大悲によって、 無上の信心が発起せしめられる。 その信心が人を人と育てて下さる。 如来が一切の衆生を必ず摂取下さる故に、 自分は自分の分限に励む。 誠に仰ぐべきは如来の大悲。 誠に深きは如来の大悲。 誠にあたたかきは如来の大悲。 誠に透徹た…