むなしさとともに

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nearly zero

先日、オッペンハイマーという映画を観たのですが、その中で心に残った言葉です。

 

劇中の意味では、ある事象が起こる可能性がほぼゼロであるという意味なのですが、ポイントは(ほぼゼロである)ということです。

 

これ、ゼロではないのですね。ゼロだと言い切れない。

 

数学者や物理学者が計算し尽くして至る結論がnearly zeroな訳です。

 

つまり、人間には限界があるということ、手が及ばない領域があるということです。

 

このことを(分限)といいます。

 

どんなに頑張っても、あとは祈ることしかできないことがある。

 

祈りが起こる時とは、もはや祈らざるを得ない状況に瀕している。

 

実はいつでも僕らは祈らざるを得ない状況に瀕しており、これを限界状況という。

 

今ここに居る自分は、限界状況に在ることを痛切に感じざるを得ない時、真宗でいえば南無阿弥陀佛、如来智慧、光明、大悲、他の宗教哲学でいえば、神、真理と値遇するのではないかと思うことです。

 

nearly zeroという言葉は人間の限界を知らせてくれる言葉のように思います。

 

人間は凡夫という分限に落着することから、新たな歩みが始まり得る存在であり、このことを表現する言葉が往生だと考えます。往生とは死ぬことではない、生きている今獲るもの、始まるものです。

 

そして、真宗では、殊更に念佛往生といわれます。つまり、念佛に育てられていくということです。

 

あと一月、多忙な時間が続きますが、やり遂げるまで油断せず仕事をしたいと思います。

 

南無阿弥陀