受け止める。
この言葉が引っかかる。
何を受け止める?
現在の自分を、自分の有様を。
目を逸らさず、ようこそと受け止める。
浄土真宗の救いとは、
過去の歩み、自分自身の存在全体を許すことかもしれない。
その受容、許容は、無量寿、無量光を根源とするため、未来永劫続いていく。
それは、今の自分自身を許すことだと味わう。
この言葉をじっくり確かめていこうと思う。
少なくても、自分は自分自身を憎み、軽蔑していた、
それは本当にむなしく、辛い歩みだった。
今は汝と呼んで下さる方が身に添ってくださるので、むなしくないのである。
聞其名号 信心歓喜とはこの事を指している。