往生は生活である。往生は我等の精神生活である。
(親鸞の大地 津曲淳三p21)
曽我量深先生の言葉を考える。
この残りの人生は何の意味があるのか。
どうして信心決定の一念で、この身を滅ぼして
下さらなかったのか。
生存にどういう意義を見い出せばいいのか。
そうか、念佛往生を通して、いよいよ助からない
自身が暴露され、光明が深淵に迫って下さって
いるのか。それほどの深い迷いをもって
流転してきたのか。それほど永く道を求めて
きたのか。深く永い迷いだったんだなぁ。
往生は生活であり、この必然に必至滅度、
即ち浄土に至らしめられる。
今は浄土への道中である。佛のはたらき、
即ち念佛往生、大悲が不退である。
忍びて終に悔いじの言葉に不退が現れている。
まだ訪ねて行かなければならないと思う。
一人残らずみなもろともに往生遂げたし。
真実報土とはどんなところなのだろう。
往生を訪ねていく、一途に。
人間は道を求め、求めてきたのだ。
きっとそう思う。
南無阿弥陀佛