娑婆には自分が自分でおれる場所がない。
本当にすべてさらけ出すこともできない。
また、
自分を受けとめうるものはいない。
いえよう。
寂滅、寂静、無為涅槃。こういう言葉に
心惹かれる。求めている世界である。
娑婆に身を置く、属している存在として
まことに悲しく、浅ましい限りである。
念佛は本願の行である、と法然聖人は
仰っている。専修念佛、
専ら本願の行を修せよ、念佛せよの
仰せに帰す。自分の居り場はこの我が身しかない。
浅ましいこの自分にめがけて、わが名を
称えよ、と仰っている。
本願によって必ず往生を遂げさせて頂くばかり。
宿業と本願は決して離れない。
藤谷先生の言葉を反芻する。
人間であることは痛ましい。
自分は迷いの存在だからである。
南無阿弥陀佛