むなしさとともに

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無常

無常に良し悪しなし。

 

それを自分の都合にとって良し悪しの色をつけ嘆く。

 

自然に対してさえ我らはあまりに小さく無力である。

 

直面する変化に対峙するとき、ただ立ち止まり、

 

ただ立ち尽くす。

 

況や何人も死を免れること能わず。

 

凡夫たるわれに、事実を受け止めること能わず。

 

立ち尽くす我らに届く一筋の光。

 

今はただ口に称え耳に聞こえる念佛をただ聞くばかり。

 

念佛とは智慧である。無常を無常と観察することで

 

無常を超える。

 

それが亡き人の菩提を弔うことになるのではないか。

 

南無阿弥陀

犀の角のようにただ独り歩め

ここのところアクセスが増えていて、

なんかあったんかなと思っています。

 

またすぐに元に戻るでしょう。

 

さて、原始仏教に心惹かれて、このところ中村元先生が

 

訳してくださった岩波文庫の本を読んでいます。

 

ブッダのことば、スッタニパータより引用します。

 

四方のどこにでも赴き、害心あることなく、何でも得たもので満足し、

 

もろもの苦難に堪えて、恐れることなく、犀の角のように

 

ただ独り歩め。(ブッダのことばスッタニパータp18 岩波文庫

 

煩悩を止滅するとは、なくすことでない。

 

中村先生によると、制する、制御するということだそうだ。

 

すなわち実相を観察する。

 

煩悩の根元は無明であり、それは無根拠である。

 

すなわち妄想に過ぎない。

 

煩悩は正体を見破られたならば、その力を失う。

 

恐れるに足らず。ほったらかしにして、眺めればいい。

 

少欲知足でただ独り歩め。すなわち念佛申せの仰せ。

 

専修念佛の大道、まことに尊し。

 

南無阿弥陀