むなしさとともに

悲しみが尽き果てるまで共に在る twitter https://twitter.com/oujouwogosuru?s=09 

雨もやがて上がる

雨が降っている。

 

雨はただ降っている。そして、雨が止む。

 

日が昇り、風が吹き、また雨が降り、草花が茂る。

 

止まない雨はない。毎日晴天でもない。

 

悲喜こもごも。光明と闇があるからこそ調和がとれる。

 

止まない雨はない。雨はやがて上がるだろう。

 

いっときびしょ濡れ。それもすぐに乾く。濡れたらいいじゃないか。

 

念佛の海に流れて、見えなくなっていく。

 

また降っても、海に溶けていく。何度でもいつまでも。

 

南無阿弥陀

煩悩をくだく光

解脱の光輪きわもなし 光觸かふるものはみな

 

有無をはなるとのべたまう 平等覚に帰命せよ(浄土和讃

 

和讃には、左訓を書いて下さっていて、わざわざ親鸞聖人がこの言葉の意味を

 

ご自身の言葉で残して下さっている。 

 

輪の左訓  くだく。解脱といふは、悟りを開き、仏になるをいふ。

 

われらが悪業煩悩を阿弥陀の御光にて摧くといふこころなり。

 

 

以下頂礼してわたしにいわく、

 

摧とは、正見なり、如実知見と申す。

 

佛のかたより念佛の信心を回向したまうが故に、佛心が凡心を

 

貫き至り届き摂取したまう。智慧は光明なり。煩悩を知見せしむる

 

おんはたらきなり。

 

われらを助け給うこの如来はことばと声の如来なり。

 

即ち阿弥陀如来なり、南無阿弥陀佛なり。方便法身と申し、

 

この如来法性法身よりすがたをあらわす。方便とは大悲方便なり。

 

この如来の大悲念佛往生の誓願をわれら聞き開くがゆえに

 

聞其名号の一念が起こるなり。この心金剛心と申す。

 

法蔵比丘平等の大悲願心を本となす。

 

煩悩を弥陀の光明によって照らされるが故に、有無の邪見にもはや

 

用事なし。ただ念佛きけよの仰せにしたがい、無量寿佛と

 

釈尊の大悲に信順す。まこと尊い大悲なり。

 

南無阿弥陀