むなしさとともに

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さよなら、また会う日まで

2年前、あなたはわたしに云いました。

 

あなたは99%もうだめだ、と。仰るとおりでした。

 

わたしも思いました。もうだめだと。

道がどこにも見えなかったし、

何をどうすればよいのかもわかりませんでした。

わたしはうぬぼれておりました。井の中の蛙でしかなかったのです。

本当にうぬぼれていた。身に沁みてそう思います。

 

ありがとうございます。

おかげさまで1%に出遇うことができました。

 

本当の意味で、何が欠けているのかさえ分からなかったものに

今出遇うことができました。

 

今ともに居ります。そしてこれからもずっと。もう離れることはない。

 

挫折。苦悩。孤独。むなしさ。死。これらはわたしにとって、善知識であり、

あなたもまた善知識でした。

 

そしてあなたは100%とは仰らなかった。1%を残してくれた。

 

わたしの力及ばず迷惑をおかけして、本当に申し訳ありませんでした。

しかし、今のわたしがいるのは、あなたに会えたから、

あなたに限らずわたしの過去一切の歩みがあったから今があるのです。

 

心から有難うございました、と頭を下げることができます。

 

ありがとうございました。わたしとあなたは決して交わらないけれど、

久遠の旅の中で、いつか必ずあなたに会うでしょう。

 

そのときわたしは、あなたに心からお礼を伝えられたらと思っています。

 

さよなら、また会う日まで。

今遇えた慶び

人身受け難し、今すでに受く。

佛法聞き難し、今すでに聞く。(三帰依文)

 

ここに愚禿釈の親鸞、慶ばしいかな。西蕃・月支の聖典

東夏・日域の師釈に、遇いがたくしていま遇ふことを得たり、

聞きがたくしてすでに聞くことを得たり。

真宗の教行証を敬信して、ことに如来の恩徳の深きことを知んぬ。

ここをもって聞くところを慶び、獲るところを嘆ずるなりと。

顕浄土真実教行証文類 総序)

 

如来の教えはただ一つ。仁者、一心に弥陀をたのめ。たのめば必ず往生す。

 

弥陀の勅命はただ一つ。汝、我が名を称えよ。必ず救う。

 

救うの中身は、助からぬ汝よ、我が浄土へ必ず往生させる。

我が名を称えるばかりで必ず救う。どうか助けさせてくれ。

 

この心は、欲生我国。もしで往生させることができなければ、

我は阿弥陀という佛にならない。

 

弥陀成佛のこのかたは いまに十劫をへたまえり

法身の光輪きはもなく 世の冥盲を照らすなり(浄土和讃

冥盲とは私の事です。

 

法蔵比丘は阿弥陀如来と成られた。そして、名号となり、

今も常に説法したまう。

 

つねに大衆のなかにして、法を説きて獅子吼せん(重誓偈)

 

親鸞聖人は、今遇うことを得た。すでに聞くことを得たと慶ばれる。

 

釈迦如来が世に出られ、弥陀の本願を説いて下さり、

数多の諸佛如来、善知識を経て、今ここに如来の教法が至った。

いまお念佛を申す身を頂いた。ことに如来の恩徳の深きことを知んぬと仰る。

 

 

ここをもって聞くところを慶び、獲るところを嘆ずるなりと。

 

孤独も不安もむなしさもともにお慈悲に慰められ、

ただ称えよの仰せとともに今日を生きたし。

 

本願とともに。南無阿弥陀

 

ありのまま

真如法性とは、決して曇りなき青天のことをいうのではないと思う。

 

雲があっても、雨が降っても、嵐の日でも。

 

青天の日も、雪の日も、春のうららかな日も。

 

夏の照りつける日差しも。秋の夕暮れも。

 

そのありのままの姿が真如法性。足すことも減らすこともいらない。

 

そのままの姿。それをそのままという。このままかな、そのままかな、という

 

思いが入ったら、そのままではない。そのままはそのまま。

 

思いがわくなら、思いがわくままに。往生一定と思うなら、思えばいいし、

往生不定と思うならそう思ってもいいし。

 

助かるとか助からないとか、いうならそれもいい。わたしに付属するもの、

一切、さしおく。さしおくとは、相手にしない。ほったらかし。

どう思おうが、どう感じようが、知らん。そういうことはどうでもいい。

 

 

そのまま救う、引き受けるの喚び声を聞いて、ただ随順する。

 

南無阿弥陀佛は、決して捨てぬの弥陀の喚び声。ただそれに応える。

ただ口になむあみだぶつと。声に出だせば耳に聞こえる。骨に響く。

 

まかせる、ということは、一度まかせたらもう文句を言わんことや。

煮るなり焼くなり、好きにせい。わしはあなたにまかせたんや。

まかせる、とはこういうことや、と日常を通して教えて頂きました。

 

教えられ、助けられ、育てられ。念佛者は常に育ち盛り。どこまでも、

歩み続け、どこまでも深められ続ける。

終わりなき歩み、それが無碍の一道。

 

往生は一時点のことを指すのではない。

往生とは始まりがあり、そして遂げられるものである。

先生から聞かせて頂いている言葉です。

成佛ではなく、往生がわれらの課題である。往生とは死ぬことではない。

今、生まれることだ。生まれ続け、生まれ続け、歩み続け、歩み続ける。

それが往生だ。今往生は始まっている。そして、必ず遂げられる。

 

本願とともに。南無阿弥陀