むなしさとともに

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師は弟子に出遇い成就する

大切なことに気がついた。

 

師は弟子に見出されることを通じて、

 

初めて師として成就するのだと。

 

法然聖人は親鸞聖人に勢至菩薩の化身に違い

 

ないと見出された。そこで法然聖人自身も

 

救われたのだと思う。

 

お釈迦様は決して自分は如来であるなどとは

 

言わなかったであろう。お釈迦様に出会い、

 

帰依した者が如来と讃えたに違いない。

 

如来は帰依したものが現れて、

 

初めて如来として成就する。

 

なんと尊いことだろう。

 

先生に沢山会わせて頂いたことに深く

 

嘆ずるのであります。

 

いつかこの取るに足らない文章が

 

ある人の信心決定の機縁になれば、

 

往生の証となれば、

 

そこで初めて僕も成就せしめられるのであります。

 

わが名を称えるばかりで助ける。ほかに何も

 

いらない。

 

こう仰って下さる先生は勢至菩薩の化身だと思う。

 

南無阿弥陀

諸悪の根源

朧げながら、次第に明らかになってきた。

 

なぜここが娑婆で、自分は凡夫であるか。

 

争いが止まず、絶えず衝突と摩擦を繰り返すのか。

 

無明、すなわち、無知である、無知が

 

存ずる故である。

 

知らないから、無関心だから、

 

相手を知ろう、受け止めようともがかない。

 

もがかないから行がない。

 

行がないから、信用できない。疑う。

 

お互いに無明、無知を滅ぼさねばならない。

 

その果てに涅槃があるに違いない。

 

平等なる大地があるに違いない。

 

何故かはわからないが、共に生きたいのである。

 

南無阿弥陀