むなしさとともに

悲しみが尽き果てるまで共に在る twitter https://twitter.com/oujouwogosuru?s=09 

静けさ

静けさを希求している気がする。

 

物事が終わり、尽き果てる静けさ。

 

始まる前の静けさ。

 

静かだが、脈打つ静けさ。風雪に耐え、

 

一途に春を待つ桜の木のような。

 

なんとも言えないが、

 

やはり寂静寂滅という言葉が相応しい。

 

寂静寂滅は逃げることではなく、むしろ

 

立ち向かうというか、大地に足をつけて

 

正面から受け取るようなそういう激しさ、

 

逞しさも含んでいるように思う。

 

静かであるが、しなやかであり、品格を

 

伴っており、美しく、瑞々しい。

 

あたたかく、柔らかく、朗らかである。

 

うまく言葉にならないのだが、本当に

 

求めているのは静けさだと思うのである。

 

念佛は寂静の響き、

 

寂静から届いている大悲の言葉である。

 

南無阿弥陀

暫くツイッター中心かと存じます

長い文章ではなく、

 

端的にやってみたくなり、ツイッター

 

再開しました。

 

ナナシ (@oujouwogosuru)

 

 

 

僕はグラブルをしているもので、

 

キャンペーンのリツイートが残っていますが

 

あしからず(笑)

 

凡夫であるということは、大いなる悲しみで

 

ありますが、一方で、大いなる光明でも

 

あります。影は光に包まれているし、

 

常に佛さまとともに歩いている。

 

この事実がいつでも僕の存在に先んじて

 

いる。では、また。

 

 

南無阿弥陀