むなしさとともに

念佛とはむなしさを横超する大行なり。専ら聞くばかり。ともに聴聞しましょう。もろびとみなともに。

後念相続

縦と横と高さ、それに加えて真実の時間。

 

人間世界は三次元で、有限であるが故に広げようとしたり、

 

はみ出たり。故に衝突と摩擦と煩悩は止む暇がない。

 

しかし、如来は常住であり、念佛に帰れば智慧がはたらき

 

生死即涅槃、色即是空空即是色、そのままであります。

 

おおよそこのような趣旨のお話を藤谷秀道先生のテープより聞かせていただいた。

 

自分にとってはまことに不思議な先生であります。すでに往生されて


おられるが、やはり特別に懐かしい感じがするのである。不思議だ。


 

亡き同僚の葬儀で般若心経が読まれました。

 

それをご縁に最近の自分の勤行は般若心経です。

 

真宗では正信念佛偈、和讃、讃佛偈、重誓偈と思われるだろうが、

 

経典には一貫して流れるものがあり、それぞれには智慧と大悲がこもっている。

 

真実の時間とは信の一念であり、念佛が何度でも一念に引き戻す。

 

いよいよ助からぬ身である。だからこそ必ず助けずばおかぬという

 

無限の大悲が智慧となって満ち満ちて下さる。

 

これが後念相続の相である。

 

真実の時間に帰れば、三次元は三次元のままが四次元である。

 

このようなことを共に味わえる方がましますこと、

 

有難く存じます。

 

南無阿弥陀


わが名を称えるばかりで必ず往生させる。如来の喚びかけが先手であり、


それに相応せしめられる。


自分には如来を信じることも託す力も皆無であります。