むなしさとともに

念佛とはむなしさを横超する大行なり。専ら聞くばかり。ともに聴聞しましょう。もろびとみなともに。

往生文

名無往生文  聴聞

聴聞すべきことは、ただ一つ。 如来は、わたしに対して、何と仰っているか? タスカラヌ者に何と仰っているか? タスカラヌ者だからこそ、必ず往生させる、と告げ知らせるのが、 この浅ましい口から出てくださり、 今耳に聞かしめられる南無阿弥陀佛であろう…

名無往生文 大乗 浄土真宗

煩悩はそのままである。 煩悩がなくなるわけではない。それどころか、いよいよ煩悩が深い。 浅ましいわが身の現実はいよいよ悲惨である。食べること、差別し、区別することを やめることができない。むしろそれを楽しんでいる。 埋没している。埋没とは、す…

名無往生文 真実報土

浄土は方向である。 浄土はあってもなくてもよいものではない。 なければならない、どうしても願わずにはおれない世界である。 人生は苦である。人間、自分は苦を孕んでいる。苦を身としている。 人間は苦を感受しうる存在である。なぜ人と生まれたか。 大悲…

名無往生文 八地 不動地

十地経にのたまわく、八地以上の菩薩の行は無功用である、と。 わたくしが考えまするに、七地以前の菩薩の眼目は自利である。 自利には限りがある。広がりと深さがなく、我執の習気を感じる。 聞其名号、大悲が届いたとき、大いなる歓喜が起こる。 それは刹…

名無往生文 佛徳讃嘆

親鸞聖人正信念佛偈にいわく、帰命無量寿如来 南無不可思議光 天親菩薩 無量寿経優婆提舎願生偈にいわく、 世尊我一心帰命尽十方無礙光如来願生安楽国 わたくし名無にいわく、 われ無限なる如来の大悲に帰命せしめられ、今ここで念佛を申し、耳に聞かせて頂…

名無往生文 われら人間の観察について

人間は多面的存在である。立体的である。 多面的とは次のような意である。 わたしは子である。わたしは兄である。わたしは孫である。 わたしは日本人である。わたしは男性である。わたしは父である。 わたしは祖父である。わたしは「役職」である。 気づくべ…

名無往生文について

浄土真宗において、タスケラレル法はすでに南無阿弥陀佛として 仕上げられています。しかし、われら衆生には機縁が 熟すまで南無阿弥陀佛を信受することが起こらない。 衆生に起こらないということは自分も助からないということである。 大乗の菩薩は無住処…

名無往生文 不退転について(位と行)

現在は西暦二○十八年八月の候なり。時は末法の頃なり。 佛教、われらが浄土真宗に言われるところの不退転に二の側面あり。 これ自身に已証されたところの功用なり。 一つには地不退という。凡夫地不退ともいう。 正しく自身は煩悩具足の凡夫、我生死出づるこ…