真宗とは、自分を取り戻す佛道であると頂いた。
凡夫が凡夫になっていく。ありのままの自分を受け止めていく。
親鸞という方は、それを自らの身を通して歩んでくださった方であり、
だから、僕らと距離が近い。遠くない。
自我という殻を破り、本当の自己を取り戻す。
自分は、自分であってよかったのだ、と自分に、自らの歩みに納得する。
あるいは、自分自身に決着をつけるために、人として生まれてきた、といえるだろう。
これは、自分だけではなく、すべての生きとしいけるものに共通する課題である。
もし、決着がついたらどうなるか。
一日一日を精一杯生きる。汗をかいて、泥にまみれて。人に関わって。
自分から逃げない。弱さを受け入れる。他の人の素晴らしさに驚く。
一日一日を新に生きる。念佛の上に生活をする。
自分が自分にも分からない心の奥底で、本当に求めていたことは、
自分に決着をつけることだった。
そして、それは結論的には、念佛申す身に仕上げられるということだった。
自分が念佛を申すということは、本当に不思議なことだと思う。
阿弥陀如来の御名である。
本願とともに。南無阿弥陀佛