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むなしさとともに

徒然なるままに、真宗の味わいを書いていきたいと思います。不快な方は、予めご遠慮ください。

無有出離之縁

出離の縁がない、助からないということはどういうことかというと、

この身この心では、十悪五逆誹謗正法という生活から、

どうしても離れることができないということだと思う。

 

生死流転とは経巡り続けるという響きがある。

 

出所、上流が腐っていれば、以下はすべて汚染される。

 

自分自身に浄化の能力がない。他人の痛み悲しみを我がことと

受け取ることができない。断絶がある。

 

そして、他の生き物を殺し、嘘をつき、金を貪り、他を欺き、

 

都合の悪いもの一切を憎み、捨て、傷つける。これが自身の実相。

 

助からない。この無意味な生活から脱出することができない。

死んでも生まれ、生まれてはまた死んでゆく。無明が有る限り、

迷いの存在は滅することはない。また次の肉体と結びつく。

 

助からない。これが事実。このような生活しか、術がない。

 

しかし、だから、助ける、助けずばおかないの無縁の大悲がかかっている。

 

その大悲の声が、一声の南無阿弥陀佛。汝はわが名を称えるばかりでよい。

 

すべてを弥陀が引き受ける。まかせよの仰せ、これが南無阿弥陀佛。

 

南無阿弥陀佛は変わらない。

 

これがたすからないままたすけられる教え。そのままの教え。

 

わが名を称えよ、この如来の仰せに専ら従う。仰せに従い、ただ称え、

 

ただ耳に聞く。響きを感ずる。それだけである。他に別の仔細なきなりの

 

言葉のとおりである。

 

南無阿弥陀