むなしさとともに

念佛とはむなしさを横超する大行なり。専ら聞くばかり。ともに聴聞しましょう。もろびとみなともに。

なぜ自力では助からないのか⑤

一念一刹那も清浄ならざることなし。

 

これは法蔵菩薩のすがたである。

 

すなわち憶念であり、その心は一心。

 

助からぬわれらを必ず往生させるという決意であり、大悲である。

 

念佛は実は最も難しい。人間の有様に合わないのだ。

 

難しいものを価値ありと見出し、

 

容易なものを軽く見る。

 

念佛は如来回向の大行であり、噛み砕き、

 

限りなく咀嚼し尽くし果てた大悲のすがたである。

 

まことに本願尊し、本願深し。

 

この大悲を味わい尽くすことこそ、人間に

 

生まれいでた本懐であります。

 

自力には我が雑ざる。

 

存在の有様、すなわち無常の身なるが故に、

 

退転退屈、むなしさから免れること、あることなし。

 

われらは有限なる存在であります。

 

南無阿弥陀