むなしさとともに

悲しみが尽き果てるまで共に在る twitter https://twitter.com/oujouwogosuru?s=09 

一匹の虫

たまたま手に虫が止まった。

 

たまたまである。

 

なぜ自分と彼は出会っただろう?

 

なぜだろう?不思議の因縁を思う。

 

手に触れて、彼は飛び立っていった。

 

彼と自分には、ともにひとつの命がながれている。

 

不思議な因縁を感じる。彼に仏縁あれかし。

 

南無阿弥陀

大悲のいわれ

もろもろの衆生を視そなわすこと、自己のごとし(仏説無量寿経

 

自分と衆生、わたしを分けずに自身として、

 

私の上に必ず本願を成就しようと大悲を起こされ、

 

敢えて言葉に成り下がり、南無阿弥陀佛の声にまで

 

成って下さったご親切。

 

それを南無阿弥陀佛のいわれという。

 

南無阿弥陀佛のいわれを聞く。わが名を称えよという

 

如来の仰せを専ら聞く。如来は念佛の声を通して出遇う。

 

如来との出遇いはそのまま自己との出遇いとなる。

 

自己とは出遇うもの、出遇い続けるものである。

 

南無阿弥陀

念佛は無碍なり

念佛は無碍なり。

 

無碍とは我が身我が煩悩を貫くなり。

 

貫くとは障りなく、届くなり。

 

届くとは聞こえるなり。

 

聞こえるとは称えるなり。

 

称えるままが聞くことなり。

 

念佛は貫くなり。専ら弥陀の名号を聞く。

 

我が身我が心のありように囚われず、専ら念佛を聞くべし。

 

南無阿弥陀

 

17.05.03追記

 

何々すべしというと、上からの言葉に聞こえがちですが、

このブログはあくまで自分の信仰を言葉にするもので、残念ながら

自分以外の人に、念佛をお伝えする力はありません。

自信教人信と仰られますが、自分の場合は専ら自信しかありません。

よってここの聞くべしは自らに対する言葉であります。