2017-05-12 如来との対話 念佛 比較の煩悩が起こり、惨めな気持ちが湧いてくる。 持つ者を羨み、ねたむ。そして、落ち込みそうになる。 すぐさま一声、如来が仰る。 弥陀がおるぞよ。弥陀じゃ不足か? あぁ、そうだった、阿弥陀さんまします。助けると仰せがあった。 いいえ、まことに十分でございます。南無阿弥陀佛 如来との生活。念佛の智慧。 南無阿弥陀佛
2017-05-10 貫き徹す 念佛 念佛は無碍であり、無碍とは貫き徹すことである。 これが自分が体解している仏法であります。 念佛が塞がろうとするわが心をこじ開ける。 本願がわが身を助からない身に引き戻す。 願力無窮、無為自然。 苦しみ嘆き悲しみに心身を浸す。つかる。沈む。どうにもならない。 そこに念佛が響く。響くとは貫くこと。一度貫かれると貫かれ続ける。 止む暇がない。常である。 このことを大悲無倦常照我(正信念佛偈)と仰る。 南無阿弥陀佛
2017-05-09 師に遇えたよろこび 善知識 曠劫多生のあひだにも 出離の強縁しらざりき 本師源空いまさずば このたびむなしくすぎなまし(高僧和讃) 生きた念佛の行者である先生に出遇わせて頂き、 とても嬉しく有難く思っている。先生は、苦労を重ねられ、沢山の先生に 道を尋ねられ、苦悩し、念佛に貫かれた方である。 先生は物静かであるが、常に聞く方に回られている。 とても謙虚であり、あたたかいお心を掛けてくださる。 先生をそのまま真受けする、単に尊ぶのではない。 妄信するのではない。 先生を先生たらしめている法の力、本願の力を、 先生を通して頂くのである。 遇い難い先生に出遇わせて頂き、ともに念佛聞法させて頂く。 この上ない、ありがたい時間である。 南無阿弥陀佛