喜び心もありがたさも嬉しさも悲しみもむなしさも称える口にも
微塵も用事なし。
ただ称え ただ聞くばかり 聞くより他に道はなし
タスケルと聞こえる弥陀の喚び声。
仰せの他に用事なし。
南無阿弥陀佛
南無とは、マカセヨ。
阿弥陀佛とは、タスケル。
助からん汝を助けずばおかん。わが名を称えよ。
如来の無限大悲が敢えて自らを否定してまで、その御心を
わたしに告げ知らせるのが、お念佛であったとは驚嘆すべき大悲である。
任せる力も信じる力もないわたしのために、心さえも仕上げて
回向して下さる。南無阿弥陀佛の名号を聞かせて慈悲によって
摂取して下さる。寿命無量光明無量の大悲願力によって往生させて
頂くばかり。南無阿弥陀佛の一声のほかに何の不足があるか?
それそれ声が弥陀じゃぞや。
弥陀が焦がれて遇いにきたぞや。
どうかこの弥陀に免じて助けさせてくれよ。
松並松五郎先生のこの言葉は金言だと思う。
南無阿弥陀佛
むなしい、しらける。
こういう思いがなくなるわけではないけれど、
それはそれでいい。浮かぶなら浮かべばいいし、
浮かばないなら浮かばないでいい。
戻る、戻らしめられる原点、それを浄土というのでありましょう。
いつでもどこでも何をしても、そこに帰る。
帰ってはまたでかけていく。家もそうですね。
光明無量寿命無量とは、そのままなりで浄土へ往生させるから
心配せずに念佛申せよ、心配するなの大悲であります。
むなしいならむなしいまんま。嬉しいなら嬉しいまんま。
悲しいなら悲しいまんま。ここに親がおる。抱いておるぞの喚び声が
この口に称え耳に聞こえる南無阿弥陀佛だったとは知らなかった。
驚くべき大悲であり、仰ぐべき大悲を有難く尊く思う。
南無阿弥陀佛