解脱の光輪きわもなし 光觸かふるものはみな
有無をはなるとのべたまう 平等覚に帰命せよ(浄土和讃)
和讃には、左訓を書いて下さっていて、わざわざ親鸞聖人がこの言葉の意味を
ご自身の言葉で残して下さっている。
輪の左訓 くだく。解脱といふは、悟りを開き、仏になるをいふ。
われらが悪業煩悩を阿弥陀の御光にて摧くといふこころなり。
以下頂礼してわたしにいわく、
摧とは、正見なり、如実知見と申す。
佛のかたより念佛の信心を回向したまうが故に、佛心が凡心を
貫き至り届き摂取したまう。智慧は光明なり。煩悩を知見せしむる
おんはたらきなり。
この如来法性法身よりすがたをあらわす。方便とは大悲方便なり。
この如来の大悲念佛往生の誓願をわれら聞き開くがゆえに
聞其名号の一念が起こるなり。この心金剛心と申す。
法蔵比丘平等の大悲願心を本となす。
煩悩を弥陀の光明によって照らされるが故に、有無の邪見にもはや
用事なし。ただ念佛きけよの仰せにしたがい、無量寿佛と
南無阿弥陀佛