むなしさとともに

悲しみが尽き果てるまで共に在る twitter https://twitter.com/oujouwogosuru?s=09 

信心の純化と柔軟心の成就

藤谷秀道先生のことばです。

 

十地経が初歓喜地から法雲地まで述べられて

 

いることにも関わってくると思うのですが、

 

たとえ信心決定しても、煩悩を具足、即ち

 

身にまとっていることは変わらぬのです。

 

それどころかいよいよ深く、浅ましいことを

 

如何に知らなかったか。どれだけ世界から自分が

 

許されて存在してきたことかをおぼろげながら

知らしめられるのではないかと思うので

 

あります。信心とは自分と他者とを区別する

 

為に起こるのではなく、自由と平等と連帯を

 

開くために浄土がはたらいてくださる、

 

智慧という相を選んで、念佛にまでなって

 

喚びかけてくださる。

 

そこに何度でも帰る。そこにはもがき悩みが

 

尽きねども、信心の純化、あるいは

 

菩薩の階梯という道程が自ずから開かれる、

 

そういうふうにこのブログを始めて

 

三年、過ごしてきて思うのであります。

 

信心は娑婆に下り、人間のはらわたにまで

 

浸透したならば柔軟心となって、六波羅蜜となり周りの人に

 

はたらく。その波紋は仏法に縁のない人にも必ず

 

伝わる。これが還相回向の現実の相である。

 

死んでから還相回向というだけでは済まない。

生きている今から還相回向の徳が一分つくのであります。

 

藤谷先生の声が響くのであります。

 

 

南無阿弥陀

願生彼国

わが国に生まれんと欲え、は本願の心。

 

それが至り届き、念佛の信心、善知識に

 

お育て頂き、阿弥陀の国に生まれたい、即ち

 

もはや我涅槃も欲さず、諸々の衆生

 

ともに往生したく、一切衆生往生せずば我

 

涅槃に入らじ、という微かな光が見える。

 

これは願生心の風光であろうか。具体的には

 

二十二願、還相回向の願まで仕上げて下さっ

 

ている。阿弥陀如来は不思議な佛である。

 

本当に衆生を大切な存在として本願を

 

超発して下さって、今働いてくださる。

 

浄土は常に煩悩を照らしいだすはたらきを

 

今ここでなしてくださる。

 

光は照らしいだす、すなわち見せしめる

 

はたらきである。智慧の光明はあさましい

 

我をあさましいと見せしめる。

 

その照らしいだすはたらきを信頼する。

 

如来常にともにまします。

 

助からぬわれらのために、

 

敢えて念佛の相まで

 

選び摂って下さったその大いなる大悲に

 

深く帰命致します。

 

南無阿弥陀