むなしさとともに

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負けて生きようと思う

人生の勝ち組とか負け組みとか、世間では色々あるが、

 

本当に勝ちとか負けとかあるのだろうか?

 

そもそも、人生の勝ち負けって、なんなのだ?

 

自分にはさっぱりわからない。

 

一般的に、金がたくさんあるほうが、幸せ。

 

子どもがいないより、居たほうが幸せ。

 

誰がそんなこと決めた?いや、決められる?

 

何が幸せで、何が不満か、それは、いちにんいちにんの価値観、

 

よりきつく言えば、いちにんいちにんの欲にかなったことが幸せだと、

 

勝手に、自分が思い込んでいるだけなのではないか?

 

今日、思った。

 

自分は、喜んで、負けて生きていけばいい。

人様を立たせて生きればいい。

 

実在するのは、今、自分のいのちが恵まれているという事実。

如来とともに自分がある、という事実。

なんまんだぶ、なんまんだぶとお念仏させていただける身に

して頂いたこと。

家がある。自分の身がある。ふとんで眠れる。好きなひとと一緒にいれる。

食事を頂ける。歩くことができる。歩きながら念仏させてもらえる。

聖教を読ませていただける。お勤めをさせていただける。

ご法話を聴聞できる。

仕事を通じて、社会とかかわりを持てる。

 

何の不足がある?満たされないとしたら、

己の心が勝手に妄想しているだけじゃないか?

これ以上、何を望む?最高じゃないか。

 

と、思ったので、自分は、

これからもよろこんで負けて生きていこうと思った。

 

追記15/12/08 負けて生きていけばよい、と思えるのは、

仏の智慧によるものであり、自分の考えを変えれば受け入れられるものでは

ないと、教えてもらった。仏の智慧は滅する智慧ではなく、転じる智慧である。

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有難いことに、わが身は阿弥陀さんのお慈悲に心の底から満足している。

 

南無阿弥陀仏