むなしさとともに

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仏かねてしろしめして

よくよく案じみれば天におどり地におどるほどによろこぶべきことを、よろこばぬにて、いよいよ往生は一定とおもいたまうべきなり。

よろこぶべきこころをおさえてよろこばせざるは煩悩の所為なり。しかるに仏かねてしろしめして煩悩具足の凡夫とおおせられたることなれば、他力の悲願はかくのごときのわれらがためなりけりとしられて、いよいよたのもしくおぼゆるなり(歎異抄第九章)

 

いよいよ南無阿弥陀佛の本願念佛大悲を憑むべき時だと感じる。

 

正直、歎異抄は第二章ひとつで十分だと思っていた。しかし、時が経ち、大いなる歓びも冷め、日々の生活に埋没している。

 

時に人間であること、煩悩をどうしても離れることができない身を思うとき、もう居なくなりたいと思う時もある。

 

この空しい現実は耐え難い、と。押し潰されそうになる。

 

時に歎異抄(花田正夫師)の本を開くと、この第九章が身に響いてきました。

 

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そこで、このかねて仏しろしめして、というこの一句が身に沁みるのであります。

 

かねて。

 

すでに知っている。汝を待っている、と。

 

今、ここに在る、この身に、念佛にまで成って称えさせ、聞こえて下さる南無阿弥陀佛以外に具体的な本願はない。

 

最も原始的で、かつ、直接的に喚びかけて下さる大悲。

 

喚びづめの声を聞きづめにせよとは、香樹院徳龍師の教導。

 

ただ称えよの仰せ一つとは、木村無相師の結句。

 

助からぬ身、未生怨を具足した助からぬ汝だからこそ、必ず浄土に往生せしめずばおかない、浄土は汝がための処ぞ、との如来の勅命が南無阿弥陀佛、と親鸞聖人は教えて下さった。

 

よきひとのおおせをかぶりて信ずるほかに別の子細なきなり。

 

摂取不捨の故に正定聚に住す。如来のおはからいで必ず往生せしめられる。

 

歎異抄とは永いお付き合いになりそうです。時を重ねる度に深く響く言葉があるから、ずっと読み続けてこられたのでありましょう。

 

今年も伴に聴聞させて頂きたく存じます。

 

南無阿弥陀