むなしさとともに

徒然なるままに。自分のために、そして、いつか如来に出遇う誰かのために。

人と生まれて

ああ夢幻にして真にあらず、寿夭にして保ちがたし。

呼吸の頃に、すなわちこれ来生なり。一たび人身を失いつれば、

万劫にも復せず。この時悟らずは、仏もし衆生をいかがしたまわん。

願わくは深く無常を念じて、いたずらに後悔を胎すことなかれ。

教行信証 行巻 真宗聖典 東本願寺派p183-184)

 

 

よくぞ今までいのちを保って頂いたことだと思う。

 

何一つ自分の力で生きているのではなく、全く一切が

恵まれて施されていると味わう。不思議なことだ。

 

人と生まれて、出世の本懐を果たす。

 

本当に自分の魂が求めているもの、渇望しているものは何か。

 

むなしさと寂しさを、抱えながらも生きなければならない理由は何か。

 

汝好くこの語を持て。この語を持てというは、すなわちこれ

無量寿仏の御名を持てとなり(観無量寿経 真宗聖典 大谷派p122)

 

専らこの行に奉え、ただこの信を崇めよ(教行信証 序 真宗聖典 大谷派p149)

 

 

本当の意味は釈尊親鸞聖人の言葉の中に実在する。

 

自分の姿を凝視せざるを得ない時、何一つ間に合わない。

その時、ただ念佛して弥陀にたすけられまいらすべし。

その意味場における、ただ念佛。

 

ただは、唯であり、只であり、ただ、だと味わいます。

 

南無阿弥陀仏