私は大きな思い違いをしていました。
わたしは、このようなものだ。
わたしは、どうしようもないものだ。
わたしは、わたしは。わたしは・・・・・
聞法する上で、どうしても聞かねばならないことは、
わたしのことではない、と思うのです。
それは、如来は、どうして、そんなに、わたしを思ってくださるのか?
このことだけ、だと最近思われます。
このことを、『仏願の生起本末を聞く』とおっしゃっている、と味わいます。
それを聞かせて頂くことが、そのまま、わたしの姿を見ることになると思うのです。
それを『法鏡』『法灯明』とおっしゃったのだと味わいます。
わたしが思う、わたしとはこのようなものだ、は結局、
わたしが考えるわたしであって、それは、ただの妄想だと思うのです。
だから、まことではない。
わたしには、変わらぬまことは、
生みようがないのです。