むなしさとともに

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変化は面白い

変わることは面白い。

変わることは動くこと、反応したり、

適応すること。

 

ただし変わらぬ軸を獲た上で、

敢えて変わることを選ぶことと、

流されて変わること、即ち、

変わることを忌避するけど、変わらざるを

得ないのとでは、相が同じでも意味が異なる。

 

変わらぬ軸とは阿弥陀佛の無限大悲である。

 

娑婆の僕にはたらいて下さると智慧の相を

選ってくださる。

 

それがお念佛であり、信心である。

 

敢えて流転すること。

敢えて三悪道へ赴くこと。

その背後には智慧の導きまします。

 

智慧の念佛。信心の智慧

 

南無阿弥陀

第四章 花にちなんで

他人の過失を見るなかれ。

他人のしたこととしなかったことを見るな。ただ自分のしたこととしなかったことだけを見よ(ブッダの真理のことば感興のことば 中村元先生訳岩波文庫p17)

 

暫く中村先生訳のダンマパダの文章を

 

ゆっくり読んでみたいと思います。

 

他人の過失、したこと、しなかったこと。

 

他人の悪癖はすぐに目につくが、翻って

 

自分はどうだろうか。人間関係において、

 

理不尽な目に遭うこと、耐えざるを得ない

 

こと、恥をこらえ、謝らねばならぬことが

 

往々にしてある。一切皆苦釈尊は仰った。

 

一方で自分が周囲にどれだけ支えられ、

 

ある意味許されて毎日を送っているのか、

 

分からない。ものの関係の依存性の中で

 

僕は僕であり、諸々の人々とともに、

 

今ここに存在している。

 

ものの関係の依存性とは梶山雄一先生の

 

お言葉であります。

 

久しぶりに拝読すると、胸に響くお言葉に

 

出会った。目は通したはずなのになぁ。

 

佛のお言葉は不思議であります。

 

南無阿弥陀

冷静に淡々と

元号が変わった。

 

平成最後。新しい時代。

 

テレビはほとんど見ないので、繰り返し

 

こういう言葉が使われていること、 

 

退位と即位の報道が飛び交っているのは

 

とても違和感がある。何か国民に印象づけ

 

ようという意図があるように思う。

 

一年に何度元号を思い、皇族の方々に

 

心をかけようか。そういうことである。

 

元号天皇が変わること=希望ではない。

 

希望があるとしたら、それは与えられる

 

ものではなく、自身のまなこで見出すべき

 

ものだと思う。行の果てに得られるものであ

 

り、また通り過ぎていくもの、

 

そこで立ち止まるものではない。

 

過ぎていくもの、求む続けてゆくもの。

 

 

自灯明、法灯明。足下を踏みしめ、

 

有縁の方々と 

 

共に着実に一歩一歩歩いていきたいと思う。

 

やることは変わらない。

 

淡々と基本を繰り返し身につけ、

 

然るべき準備をし、結果を出し、学びを

 

深め、佛法を聴聞し、念佛を聞いていく。

 

これを継続していくだけである。

 

南無阿弥陀