最近はとても仕事が忙しいため、更新も滞っています。
その中でも時折見に来て頂いている方がおられるみたいで、ありがとうございます。
僕が言いたいことは、一つだけです。
わが名を称えよという如来の常の仰せに従い、今ここで念佛を申すだけであるということです。
残念ながら信心決定しても煩悩具足のままです。信心決定という言い方が適当かわかりませんが、無疑である、疑おうが疑わまいが、大悲が南無阿弥陀佛にまで成って聞こえて下さる。それだけで満足です。
心境が開くかと思うのならば、そんなことはありません。
聴聞しない人と全く同じです。
慶びは一瞬です。そして、慶びに留まってはだめです。自分の殻が閉じるからです。
僕は藤谷秀道という先生の影響を大きく受けています。先生の言葉をお借りするならば、煩悩は絶え間なく起こるけれども、それらに溺れない。立ち返るものがある。
それが念佛であり、信心である。具体的にいえば南無阿弥陀佛である、こういう表現になります。
身体が疲れると、本当に何もかも捨鉢になります。嫌になるというか、いつ人生が終わってもいい、というか。
個人的にはいつ終わっても特に問題はないのですが、まだ見届けたいことがあるので、それが終わるまでは何とか生きねばならないと思います。
このような奇妙なブログをどのような方がご覧になっているのか、僕には分かりませんが、お念佛ひとつです。
具体的に念佛を申す、ただこの一行をたもつ、死ぬまで相続する、ということで事足りるのであります。
恐らく、6月まで忙しいので、暫くお暇します。何かあればコメント頂ければ幸いです。ツイッターは続けます。
それではまた。
南無阿弥陀佛