むなしさとともに

悲しみが尽き果てるまで共に在る twitter https://twitter.com/oujouwogosuru?s=09 

暫く休みます

最近はとても仕事が忙しいため、更新も滞っています。 

 

その中でも時折見に来て頂いている方がおられるみたいで、ありがとうございます。

 

僕が言いたいことは、一つだけです。

 

 

わが名を称えよという如来の常の仰せに従い、今ここで念佛を申すだけであるということです。

 

 

残念ながら信心決定しても煩悩具足のままです。信心決定という言い方が適当かわかりませんが、無疑である、疑おうが疑わまいが、大悲が南無阿弥陀佛にまで成って聞こえて下さる。それだけで満足です。

 

心境が開くかと思うのならば、そんなことはありません。

 

聴聞しない人と全く同じです。

 

慶びは一瞬です。そして、慶びに留まってはだめです。自分の殻が閉じるからです。

 

僕は藤谷秀道という先生の影響を大きく受けています。先生の言葉をお借りするならば、煩悩は絶え間なく起こるけれども、それらに溺れない。立ち返るものがある。

 

それが念佛であり、信心である。具体的にいえば南無阿弥陀佛である、こういう表現になります。

 

身体が疲れると、本当に何もかも捨鉢になります。嫌になるというか、いつ人生が終わってもいい、というか。

 

個人的にはいつ終わっても特に問題はないのですが、まだ見届けたいことがあるので、それが終わるまでは何とか生きねばならないと思います。

 

 

このような奇妙なブログをどのような方がご覧になっているのか、僕には分かりませんが、お念佛ひとつです。

 

具体的に念佛を申す、ただこの一行をたもつ、死ぬまで相続する、ということで事足りるのであります。

 

恐らく、6月まで忙しいので、暫くお暇します。何かあればコメント頂ければ幸いです。ツイッターは続けます。

 

それではまた。

 

南無阿弥陀