ばたばたしているが、
物事、やりとりを通して自然と気づきが
去来したり、自分の目を通し、
人の言葉と姿を見て、その人となりを
教わることがある。
また確証を得る、押えるということが
非常に大切だと、身を以て体感した。
ただし、限りある身である故に、
限界があり、それを補うためには仕組みや
システムが必要である。
ただし、人のためにシステムが必要であり、
システムのために人が要るのではない。
人のためのシステムが原則である。
身を通してみなければ、それは偶像に
すぎない。自身が身を通す、手を動かし、
額に汗をかくからこそ、わかることの方が
沢山あり、かつ、
大切なことではなかろうか。
悲しみも同じである。先生は悲しみが熟した
からこそ、人間を人間として見出そうとする
ようになったんだね、と仰られた。
人と見い出せているなんて、思わない。
でも、悪あがきしている途中だとは思う。
まぁ、とっても悲しいことが沢山あったし、
今も引きずっているのだけれど。
まだ忙しい日々が続くが、得られるものも
あるのだろう。好い連休を!
南無阿弥陀佛