むなしさとともに

悲しみが尽き果てるまで共に在る twitter https://twitter.com/oujouwogosuru?s=09 

確証を得る

ばたばたしているが、

 

物事、やりとりを通して自然と気づきが

 

去来したり、自分の目を通し、

 

人の言葉と姿を見て、その人となりを

 

教わることがある。

 

また確証を得る、押えるということが

 

非常に大切だと、身を以て体感した。

 

ただし、限りある身である故に、

 

限界があり、それを補うためには仕組みや

 

システムが必要である。

 

ただし、人のためにシステムが必要であり、

 

システムのために人が要るのではない。

 

人のためのシステムが原則である。

 

身を通してみなければ、それは偶像に

 

すぎない。自身が身を通す、手を動かし、

 

額に汗をかくからこそ、わかることの方が

 

沢山あり、かつ、

 

大切なことではなかろうか。

 

悲しみも同じである。先生は悲しみが熟した

 

からこそ、人間を人間として見出そうとする

 

ようになったんだね、と仰られた。

 

人と見い出せているなんて、思わない。

 

でも、悪あがきしている途中だとは思う。

 

まぁ、とっても悲しいことが沢山あったし、

 

今も引きずっているのだけれど。

 

まだ忙しい日々が続くが、得られるものも

 

あるのだろう。好い連休を!

 

南無阿弥陀