人間は真実を掴むことはできない。
即ち有限なる故に。
真実は無限なり、はかりなきいのち、
はかりなきひかりと仰せられる。
掴むこと能わずとも値遇することは
できる。即ち乃至十念若不生者不取正覚の
誓いに帰命する一念の信心起こるとき、
摂取不捨の大悲に出遇うのである。
そこに久遠より求め続け、悲しみと苦しみと
むなしさと流転を重ねてきた所詮が成就する。
正に今、ここに如来われとともにまします。
念佛のすがたを摂ってまでタスケルと仰せ
下さる本願のかたじけなさよ。
底もない。無量無辺無限である。
今ここに南無阿弥陀佛と喚んで下さる。
それに帰すばかりであります。
南無阿弥陀佛