濁流に流され、川底に引きずり込まれる。
息が吸えず、苦しい。誰かが足を引っ張る。
溺れた人は自分だけではなかった。
大勢の人が濁流に呑まれ、自分もまた
沈んでいく。
味わった息苦しさと足を掴む力は
生身で感受する以上に現実味を帯びていた。
さて、どちらが夢で、
どちらが現実なのだろうか。
ただ一つ言えることは、夢の自分、
現実の自分を問わず、如来が仰せになるのは
わが名を称えよ、
必ず浄土に往生させるというこの一句は
変わらないということである。
夢でも溺れ、現実でも溺れ沈みきっている
自分に南無阿弥陀佛が降り注がれている。
煩悩に引きずられつつ、
煩悩に染まらぬ大悲、これだけがまことで
あります。
南無阿弥陀佛