むなしさとともに

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残酷な世界

世界は残酷だ。

 

進撃の巨人ではないが、やっぱりそう思う。

 

ここは平等な世界ではなくて、あまたの差異があり、不均一である。

 

自分の居場所はどこにもなく。

 

それぞれは居場所と思しき場所を懸命に守っている。

 

居場所と思しき場所は、有限であり、それを保つためには、競争に身をさらさなければならない。

 

きれい事が通じるのはしばらくで、確かにきれい事はあるのだが、そうでなく、折り合いをつけなければならないことが多いことを知る。

 

自分の感性や価値観と合わない人ばかりで、相手に理解されようとしても徒労に終わる。彼らが変わることなどないからだ。そして、互いに深い関心はなく、利害に依って関係が保たれている。

 

よって、自分の認知と行動を変えるしかない。表層は技術と努力、深層変革は哲学あるいは信仰を得るか。

 

世界は残酷だ。

 

いずれにせよ、自分の人生は一度きりで、誰も助けてくれないし、誰も代わってはくれない。このことを釈尊は独生独死独去独来と仰せになった。

 

泥にまみれ、額に汗をかき、もがき、歯を食いしばり、涙をこらえ、孤独に沈む日がやがて訪れるだろう。

 

結局は体解しかないのだから。

 

その日まで暫く猶予はあるかもしれないし、ないのかもしれない。

 

挫折することは、非常に大切なことで、挫折しようとする人はおそらくは一人もいない。

 

挫折してしまうのである。これは、自力ではできないと思われる。

 

挫折を通して人間が人間に成っていく。

 

極重悪人とは挫折した人であり、挫折してもなお自力のはからいがやまず、煩悩をどうすることもできない自分のことであり、助からぬ存在である。

 

南無阿弥陀佛とは、助からぬ汝だからこそ、必ず浄土に往生させるという勅命であると教えて頂く。

 

次の段階へ歩を進めようと思う。

 

南無阿弥陀