宝くじ、あたったらな。
あの人みたいになれたらな。
あれがありさえしたらな。
こんなことばっかり考えていたので、それを一度否定した。
けれども、捨てられるような自分ではなかった。
そして、一周して、もとから居た場所に立っている。
今はそういう気がしている。
結局、自分は自分にしかなれず、自分であれば事足りるのである。
信者にならんでもいい。木村無相さんがなくなられる前に、
仰った言葉。
そんなもんは色気や。
普通の人と同じように生き、普通の人と同じように死ねばいい。
それが最高だ、と。
この言葉はすごく心に響いている。
最近、自分がすきなのは禅宗の「十牛図」の最後。
はだけている衣服をまとい、ひょうたんをかつぎ、
町へ出て、みんなと笑って過ごす。山にはずっとこもらない。
町へ出て行くのである。
これが「あぁ、いいなぁ」と思った。
だから、自分は格好つけず、自分の赴くままに、
普通に生きて、縁が尽きれば、
力なくして死んでいけば、それで十分だと思っている。
今に十二分に満足している。
社会は、ひとりひとりが形成している。ひとりひとりを離れて社会はない。
ひとりひとりが社会である。
生きている、存在している、ということは、どんな状態、心でも、
縁起の中に存在している。縁起とは、係わり合いのこと。
それを離れてひとは、いきものは存在できない。
そして、各自に、本願はすでにかかっている。
あとは、宿業に成就すれば完結し、また始まっていく。
それは、終わりなき歩みである。
本願とともに。なむあみだぶつ