むなしさとともに

悲しみが尽き果てるまで共に在る twitter https://twitter.com/oujouwogosuru?s=09 

余韻

輪が鳴り、静かに止むまでに

余韻がある。微かに音が響いている。

それに似た何とも云えぬ残響の中にいる。

明日からまた日常が再開する。

また勝負が始まる。自分との対峙。

沢山の方のお話を聞けて良かったと思う。

ともに、凡夫がいる。沢山いる。

僕もまたその中にいる。

苦しみを大切にしたい。大切に大切にしたい。

これをなくしてしまったら、忘れてしまう。

忘れてはならない。

今はただ、残響に耳を傾けたい。

まだ、鳴り響いている。

ひとに会うことは大事なことであります。


来年生きていればまたこの頃に勉強会が

開かれることになりました。

もしその時が来れば、ご案内致します。


往生不退至菩提 故我頂礼弥陀尊



南無阿弥陀

自然なる思案

十牛図という譬えがある。

見性を通り、一周回って元に戻る。

元に戻ったが、実は全然中身が違う。

そして、最後は市井の人として、人々と

交わり、酒を呑み、談笑し、伴に涙を流し、

死んでいく。

こういう格好つけない普通の姿に心惹かれる。

なぜなら、全く無理がないからだ。飾りがない。


比べ合い、こういうことは疲れるのだ。

離れることはできなくても、これは虚妄に

すぎないことは、微かに分かっている。

もういいのだ。本当に。もういい。


力を入れず、自然体で研修に望みたい。

しっかり地に足をつけて、ともに苦しむ。

これが大乗であろうと感じるのである。


離れてはいけない。悲しみと苦しみを

忘れてしまうから。しっかり沈み込む。

これを忘れないようにしたい。



次の更新は来週の予定です。ではまた。


南無阿弥陀

忘れてはならぬこと

われもかれも、ただびとなり。


このことを忘れて高いところに行こうとする。

人間は高くて明るいところが好き、


低くて暗いところへ行こうとしない。むしろ、

避けるし、忌避する。

しかし、身が大事なところなのだ。

だって、自分の存在の現実、実際でありましょう。

そこがお互いの居り場でしょう。

心は晴れたといえども、現実はどうか。

現実で晴れた心が逆に問われる。


本当に助かったの、それで?何が?と


ともに本願に助けられて往生するのであります。

こういう当たり前のことに足をつける。

肝要なことだなと思うのであります。

南無阿弥陀