願いを込めて、ひとと相対している。
まず願いが根底にある。出処は願いなのだ。
だから、ひとの好き嫌いや、仕事の選り好みは
自分にとっては、低い次元の話で、そのような
ことはどうでもよい。
質の高い仕事を。質の高い在り方を。
気高さとか、誇りとか、もう死んでしまった言葉
だろうか。いや、まだ死んでいない。
願いは気高さを具足する。
他者は関係がない。自分がどういう生き方を
望み、今何をするかが大切であり、行動に
思想と願いが籠るのである。
思想は思想だけでは不完全だ。
実践がない。額に汗をかき、タバコと空き缶を
拾い、苦悩に耐え忍ぶことで、思想は現実化する。
思想だけでは、思想が死んでいる。
歩みがない。だから、ひとのこころを打たない。
もう、相手の理解を、こころを打つ必要もない。
時が来るまで行じ続ければいい。
もう語る必要がない。行いそのものが
語るからだ。眼差し、佇まい、言葉、
一つ一つに願いを込めて。
判るひとは判り、
判らないひとはずっと判らない。
いつの日か悲しみの雨が尽き果てるまで。
南無阿弥陀佛