むなしさとともに

悲しみが尽き果てるまで共に在る twitter https://twitter.com/oujouwogosuru?s=09 

願いを込めて

願いを込めて、ひとと相対している。

まず願いが根底にある。出処は願いなのだ。

だから、ひとの好き嫌いや、仕事の選り好みは

自分にとっては、低い次元の話で、そのような

ことはどうでもよい。

質の高い仕事を。質の高い在り方を。

気高さとか、誇りとか、もう死んでしまった言葉

だろうか。いや、まだ死んでいない。

願いは気高さを具足する。

他者は関係がない。自分がどういう生き方を

望み、今何をするかが大切であり、行動に

思想と願いが籠るのである。

思想は思想だけでは不完全だ。

実践がない。額に汗をかき、タバコと空き缶を

拾い、苦悩に耐え忍ぶことで、思想は現実化する。

思想だけでは、思想が死んでいる。

歩みがない。だから、ひとのこころを打たない。


もう、相手の理解を、こころを打つ必要もない。

時が来るまで行じ続ければいい。

もう語る必要がない。行いそのものが

語るからだ。眼差し、佇まい、言葉、

一つ一つに願いを込めて。

判るひとは判り、

判らないひとはずっと判らない。

いつの日か悲しみの雨が尽き果てるまで。

南無阿弥陀