むなしさとともに

悲しみが尽き果てるまで共に在る twitter https://twitter.com/oujouwogosuru?s=09 

現実が大切だと思う

このことはよく分からなかったのですが、

 

本当に現実が大切なんだと思うのです。 

 

一人ひとりが居られる現場のことです。

 

ここで問われるのです、自分の在り方が。

 

傍観者になるか、当事者になるか。

 

心境にとどまるか、表現するか。

 

即ち往生の問題です。

 

正直、心境などどうでもいいです。

 

念佛申す身であるというなら、このひどい

 

現実に対し、お前は何をするんだ、と

 

問われるのあります。

 

この問に対して、僕の一つのアプローチが

 

技術であります。資格もいくつかはありますが、コミュニケーションの技法、

 

あるいは、メンタルヘルスに関する試験を

 

来年受けなければなりません。その次にすべきことも念頭にあります。

 

資格を目指すのは、能力の客観化です。

 

また、職場で共に働く方々への配慮のためです。

 

失敗もありますが、やらなければ身につかない。身についたことは忘れない。

 

体解という言葉は肝要だと思う。

 

今の自分に留まるつもりは毛頭ない。

 

和田先生は往生のことをこう仰った。

 

終わりなき歩みがはじまった、と。

 

娑婆の技術を身につけて何の意味がある?

 

そんなものは知らないし、要らない。

 

やらずにはおれない。

 

信仰が生きているか否か。

 

自分なりにレジスタンスを続けていくだけで特に何の意味もない。

 

南無阿弥陀