このことはよく分からなかったのですが、
本当に現実が大切なんだと思うのです。
一人ひとりが居られる現場のことです。
ここで問われるのです、自分の在り方が。
傍観者になるか、当事者になるか。
心境にとどまるか、表現するか。
即ち往生の問題です。
正直、心境などどうでもいいです。
念佛申す身であるというなら、このひどい
現実に対し、お前は何をするんだ、と
問われるのあります。
この問に対して、僕の一つのアプローチが
技術であります。資格もいくつかはありますが、コミュニケーションの技法、
あるいは、メンタルヘルスに関する試験を
来年受けなければなりません。その次にすべきことも念頭にあります。
資格を目指すのは、能力の客観化です。
また、職場で共に働く方々への配慮のためです。
失敗もありますが、やらなければ身につかない。身についたことは忘れない。
体解という言葉は肝要だと思う。
今の自分に留まるつもりは毛頭ない。
和田先生は往生のことをこう仰った。
終わりなき歩みがはじまった、と。
娑婆の技術を身につけて何の意味がある?
そんなものは知らないし、要らない。
やらずにはおれない。
信仰が生きているか否か。
自分なりにレジスタンスを続けていくだけで特に何の意味もない。
南無阿弥陀佛