むなしさとともに

一切の悲しみが尽き果てるまで、共に歩む twitter(@oujouwogosuru)

今もまだ道を求めている

忍耐は徳目である。と最近感じる。

 

徳目の基礎というか、土台というか。

 

あまりに便利になりすぎて、携帯一つ、

 

ネットで何でもできて、何でもわかるかの

 

如く錯覚しがちだがら、わかったというのは

 

身について、初めてわかったといえるので

 

あり、検索して、言葉を見て理解したことと

 

体解するということとは別のものだ。

 

再現性、深化、展開。

 

体解にはこういう動きを伴う。

 

時を待つことは、辛抱強さが要る。

 

思い通りにならないことは辛く、虚しい。

 

しかし、物事が実を結ぶには、熟すという

 

ことが必要。熟すには時が要る。

 

励まし、この道を往けと発遣して下さる方も

 

いなければならない。

 

自分一人の力などちっぽけで、できることは

 

限られている。

 

支えてくれる人、理解しようと耳を傾けて

 

くれる人、共に苦難を受けてくれる人。

 

そういう人を友というのでしょう。

 

 

時が熟し、友、師に遇った時、自ずから

 

醒める。醒めて初めて、あまたの恵みと

 

許しに気づき、人間であろう、人間に

 

なろうという道が始まる。

 

こういうすがたをとるのが、

 

求道ではないかなぁと思われます。

 

 

今は、道と共に在り、励まされつつも、

 

悲しみに沈み、煩悩に引きずられている。

 

それでも、現実を聴聞の場として、

 

有縁の人とやりとりしており、

 

まだ道を求めて、耳を澄まし、

 

目を凝らしている。