むなしさとともに

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年末を迎えて

昨日が仕事納めでした。無事終わったので、ビールを久々に頂きました。キリン一番搾り(笑)

 

今日は家の掃除をしました。やはり、まとまった時間がなければ手をつけられぬ箇所があり、そこもふけたし、洗えたのでよかったです。

 

さて、一年を振り返ると、やはり、コロナウイルスの影響を受けたなぁと思います。

 

とにかく早かった。

 

緊急事態宣言の時期は、繁忙期なので、会社の一室へこもってワンオペしました。周りの人は交代勤務できましたが、自分が交代勤務ができたのは、宣言が終わったあとから、でした。

 

だから、あまり覚えていないのですねぇ。

 

夏場に良い出会いもありました。

 

コミュニケーション技術の集まりで、自分と同じように生きにくさを抱えておられた方のお言葉が響きました。

 

僕も随分生きにくかったが、この技術を学び、それが和らいだよ、と。

 

このような言葉を聞いて、とても嬉しかったです。共感、共鳴という感じがしました。

 

そして、ここで教わったことを現実のやりとりに応用し、自分と相手のコミュニケーションにおける立ち位置を、なるべく合わせることを意識しています。

 

たいていズレているみたいですね。歪んでいるというか、裏面交流というようですが。

 

仏法に関しては、ZOOM研修会がありました。ヒトトコロには集まれませんでしたが、有難いご縁を頂きました。新しい出会いも頂戴しました。

 

来年もおいのちがあれば、場が開かれる予定です、もしよければご参加ください。また案内致します。

 

長々となりましたが、何が言いたいかというと、【凡夫である、ということから目を逸らさず凝視し、確かめ続けていくこと】が最も大切な気がします。

 

ここには尖い痛みがあり、深い寂しさが伴いますが、ここにしか、われらということが拓ける場はない気がします。

 

そして、この助からぬ自身に、必ず助け遂げずばおかぬ念佛の大悲がはたらいて下さるのであります。

 

だから、助からぬ身が本当に大切であります。ここをずっと問い続け、確かめ続けさせて頂くのが念佛往生でありましょう。

 

恐らくこれが年内最後の投稿になると思います。今年も、こんな辺鄙なブログに来て頂き、ありがとうございました。

 

コロナを正しく恐れつつも、過度に恐れることなく、基本に徹していくことをたもちたいと思います。

 

どうぞくれぐれもご自愛ください。来年もともに聴聞させて頂ければと存じます。

 

よいお年を。

 

南無阿弥陀

 

意味は他者から与えられるものではなくて、自身が生存をかけて、懸命に見出していく、獲得していくものだと思います。

 

だから、みんなちがってみんないいのでしょう。個性豊かに、彩り豊かな違いが面白いのでしょう。