むなしさとともに

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歎異抄聴記⑧後念相続

われわれは常に信の一念に立つべし。われわれは後念に立つということはないものである。われわれは常に信の一念に立てというのが、第九条のご教訓の精神である。いのちのあらんかぎりはむろん、乃至一念である。(歎異抄聴記 曽我量深師p258)

 

僕自身は歎異抄というお聖教をあまり読まないところがあります。また第二条で事足りるように思っていた節がありまして、随分第九条を自分のこととして感じてきませんでした。

 

曽我先生は常に信の一念なんだと仰っている。これを自分の言葉で表現するならば、

 

 

念佛称えてこなかった己に時機熟して不思議にも今ここでこの身に南無阿弥陀佛と念佛を聞かせて頂いているじゃないか。これ以外に信の一念はなく、南無阿弥陀佛もなく、如来もなく、本願もなく、大悲もない。

 

今ここで聞こえて下さる南無阿弥陀佛のほかに仏法はない。何もない。

 

有縁の先生は仰る。常に新しい景色を拓いて下さる。繰り返されるようだが、実は常に新たなもので、高さ、深さ、響きが違う。

 

信心が停滞する。心境が澱む。つまらない。

 

そうではなくて、閉じようとする信心が破られ続けていく、十方衆生、諸々の衆生とともにというひらけ、これが往生の問題であろうと体解する。

 

往生ということを最近の法話で語られることが少ないように思う。語れないのかもしれない。

 

こえにつきて決定往生のおもいをなすべしとの法然聖人のお言葉。

 

歎異抄聴記も残り2回です。第九条をテーマに考えてみます。

 

ワクチンは予約サイトを開始時刻に開けば予約が終わっている有様。混沌たる世相。なるようにしかなりませんが、くれぐれもご自愛下さい。

 

こんな更新の乏しいブログに来て下さり、ありがとうございます。何かあればコメント頂ければ共に考えさせて頂きます。

 

南無阿弥陀