むなしさとともに

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課題の変質

更新頻度が落ちておりますが、何とかやっております。

 

Twitterは思いついたことを即座に文字化できるので、ブログを書くための時間が取りにくい昨今、Twitter中心です。

 

さて、最近考えていることを。

 

一所懸命行ずるしかない、ということ。

 

結局は孤独である、ということ。

 

課題が変質してきた、個から場になってきたということ、です。

 

行ずるということについては、他者と自分は心が通わないですし、逆に心を見られるわけにもいかないです。ロクなことを考えていないため、です。

 

ただ、自分が思っていることを表す術が行、即ち行いでありますから、こうしたい、変えたいと思うことを顕在化するために、行ずることを意識して過ごしています。

 

物事を外から見て、いいだの悪いだの批評するのは簡単です。その人に聞きたいのは、では、あなたはこの問題に対し、どう向き合うのですか、ということです。

 

こう尋ねると大抵は黙るのです。問題に切り込む、距離を詰めることが行ずるということだと思っています。

 

孤独であることは解消できません、身がありますから無理です。しかし、孤独なるわれら、という響きがあり、ただそれだけが孤独であることを受け止めさせうるものではないかと思います。

 

課題の変質については、この人間であるという問題を抱えているのは自分だけではないわけで、場、土の問題であろうと思います。

 

浄土とは法蔵菩薩の本願に酬報した世界と聞いております。

 

土徳、即ち阿弥陀仏の浄土に往生すれば土の力用によって自ずから仏に成ってしまうのであります。

 

環境から人間が受ける影響、というものを考えています。自分が所属する組織は人が疲弊しているように観えます。

 

なので、職場で自分の職位でできる環境整備を実施しているところです。

 

些末なこと、予算を取らなければならないこと、色々ありますが、場を整えることは大切なことだと思いますので、諦めずにやってます。

 

失敗もありますし、いい反応ばかりでもありません。色々なひとがいて、色々な認知をもち、色々な言葉を使いますから、想定内です。嫌なストロークをいなすために技術を学んできました。傾聴であり、アサーションであります。

 

技術は偉大であり、自分においては、対人ストレスを緩和させることができました。

 

僕は傍観したくありません。批評家に陥りたくありません。できる範囲において、問題に対峙し、関わります。これを当事するといいます。

 

自分の居り場において、やれることをします。この世界を変えてやるなどとは思いません。しかし、せめて、縁あって所属する場には自分が居たことで変わったことを遺したいです。

 

既にいくつかは完了しています。何十年も続いていた慣習を変えました。もう5年前くらいでしょうか。他にも変えたこと、現在進行形のものもあります。

 

自己主張する必要はありません。足跡を見れば誰でもわかります。ですが、大半のひとは足跡が見えませんし、見ようともしません。

 

それでよいのです。足跡は足跡なので、僕はそこにはいません。先に行きます。行を追求していきます。

 

南無阿弥陀