むなしさとともに

悲しみが尽き果てるまで共に在る twitter https://twitter.com/oujouwogosuru?s=09 

浄土真宗

ほかに道なし

ただ念佛のほかに、われ道無し。 如来まします故に、何も問題ない。 如来とともにわれはゆくのみ。

称名念佛

名を称える。 名とは、南無阿弥陀仏。 なんで、阿弥陀仏なのに、名前が南無阿弥陀仏なのか。 阿弥陀仏でいいじゃん。 いいえ、南無阿弥陀仏でなければなりません。 そこには、わたしと決して離れぬ心が文字として、声として、 現れていると頂きます。 間に合…

仰せにしたがう

帰命とか南無というと、おまかせ、とかそのままとか聞きます。 自分なりにこの言葉を味わうならば、 ただ、仏語、すなわち如来の仰せ、よきひとの仰せのままに、 従う、そのことを帰命といい、南無というのだと思う。 これは、何にも難しいことはない。日常…

ことのは

口に関する戒めは、意業、身業よりも多い。 十善戒 - Wikipedia 改めて考えると、一つさえ戒律を保つことができない。 そして、言葉が危ないなと思うことの主たる要素に、 「言葉の善悪は、自分では決定できないこと」を思う。 何気ない一言が、希望を与える…

善知識は一人ではない

まことの仏法を説いてくださる方は、この人だけだ。 だから、自分はこの人から聞くしかないんだ。 こんな事、思いませんか? これは偏りです。 お釈迦様は、阿弥陀経で、東方、 南方、西方、北方、 下方、上方の世界で、自分が、今、阿弥陀仏の不可思議の功…

本願のまごころ

「聞」と言うは、衆生、仏願の生起・本末を聞きて疑心あることなし。これを「聞」と曰うなり。 仏願の生起・本末とは、如来選択の名号、衆生の側からいえば、 称名念仏一行を選ばれた「理由」と頂きます。 法の側からいえば、選択本願、 本願を成就するため…

苦しみを超える(横超)

私の住むこの世界のことを、仏法では、 娑婆(しゃば)と示して下さっている。 娑婆とは「堪忍の土」(かんにんのど)という意味があり、 この世界は「耐え忍ばねばならない場所」であるという教えです。 人はよく「苦しい」といいます。 仏法における「苦」…

摂取不捨 目的と手段の合一

目的と手段は別々であり、手段は目的を達するための方便である。 世間一般の考え方だと思う。 しかし、これだと問題が残る。 一つは上下の問題。 二つは持続の問題。 前者は、目的が手段よりも優位に立つ。 後者は、目的が達せられた後、新たな目的が必要と…

むなしさとともに②

むなしさとともに、の「ともに」についてです。 「ともに」は、共にであり、友にであり、倶にであります。 本願は、常に十方衆生、具体的には、 わたしいちにんに、いきとしいけるものすべてに、平等に かけられた純粋な願いです。 私は、今、本願と共に在る…

むなしさとともに①

突然ですが、ブログのタイトルについて、 「むなしくない」から「むなしさとともに」に 変えようと思いました。 理由は「むなしさ」は否定すべきものではなかった、と 教えて頂いたから、です。 これは、自分にとって、とても驚いたことでした。 むなしさが…

自分とは何だろう?

事実は、一切の物事を先行している。 すでに在らしめている、あまたの関係性の中で、自分というものを 存在たらしめている。一切の、いのちあるものを、願っている。 このことを親鸞聖人は「無為自然」とか「本願力」と表現されたのではないかな、 と思うの…

本願を聞く

一生懸命聞いてきたつもりでしたが、ずっと方向を間違えてきました。 仏法とは何か。 如来世に興出したもうゆえは、唯弥陀の本願海を説かんとなり。 仏法とは、弥陀の本願である、と親鸞聖人は答えて下さいました。 わたしは全く本願を聞いていなかった。 自…

新しい課題

今日教わった事は、非常に大きいことだと思った。 自分の問題が終わるなんてとんでもない誤りで、 改めて自己の在り方が問われる、終わりなく、問われ続けていく、 それが聞法だと教わった。 物事の一つ一つにおいて、お前の在り方は何だ?と自分が問われる。…

天国と浄土

仏法でも、天国があります。 それは、天上界と申すと聞かせて頂きます。 そして、仏法では、天国は、 六道すなわち迷いの世界の一つであると聞かせて頂きます。 対して、浄土という世界は何か? 地獄界、 餓鬼界、 畜生界、 修羅界、 人間界、 天上界の六道…

柔らかくしなやかに

柔軟心はありがたい。 自分ならば見過ごすことを、見つけてくれる。 そこに「あぁ、ありがたいな」と云う心を附してくださる。 生きていると、自分の力不足で、ご迷惑を掛けることが多々ある。 そのとき、以前ならば「隠してしまいたい」「逃げたい」と 先延…

一つの側面ににすぎない

苦しいと、悲しいと、それが自己を支配して、 それが自分の全てのように思えて、苦しくて苦しくて、 悲しくて悲しくて仕方がなくなる。 もう嫌だ。どうしたらいいんだ。 苦しいのは分かる。自分も通った道だから。 だからこそ云いたい。 立ち止まっていいよ…

僕は弱い

難儀を殺すのではなく、生かし切るのが、弥陀の本願。 難儀から逃げるのではなく、受けとめる。 こらえ切る。 ここに仏法の真髄を思う。 追伸 本当は逃げたくて仕方がないんです。 不都合な現実を受け止めたくないし、誰かのせいにしたい。 いつまでも平和で…

ただ念佛して

自分は決して仏弟子にはなれない。 自分の心の中には、いつまでも眠りたい、夢を見続けたい、 フトンから出たくない、おいしいものが食べたい、 貧しい暮らしをおくりたくない、健康でありたい、 こういう心しか湧いてこない。 何が悪いの?と思うかもしれな…

聖道の慈悲と浄土の慈悲 追記あり

詳しくは、歎異抄にてご覧下さい。ここでは省きます。 自分がこれらの言葉をどう感じているか、文章を通して、 確かめたく存じます。 聖道の慈悲とは、人間の思いやりのことだと思う。 小さき命をいつくしみ、育てたり、ボランティアや寄付に限らず、 肉体・…

帰命無量寿如来

『無量寿如来に帰命し、不可思議光に南無したてまつる』 親鸞聖人の正信偈の最初の箇所のご文です。 帰命も南無も同じ。 自分の存在全体の一切を託すことである、と味わいます。 ご法話では、まかせる、とよく聞かせて頂きます。 誰に。 限りなき命と光の仏…

答えはいつもそばにある

幸せの青い鳥を探して、ずっと彷徨って来た。 探しても探しても見つからない。 ずっと、ずっと。持つ者をうらやみ、あのようになりたい。 あのようにならなければ。 なりたくてもなれず、欲しくても手に入らず。 そういうむなしい歩みに耐えられず、心が軋ん…

変わらざる者よ

十八願は、その心を変えよ、の仰せはない。 変わらざる者よ。間に合わないなら、ただ我が名を称えよ。 この仰せに、騙されても仕方ないとお念佛を申させて頂く。 その一念、彼の仏願に相応するが故に、本願がわたしの上に成就する。 いつ?どこで? 今、ここ…

弥陀の名号

一心専念 弥陀名号 行住坐臥 不問時節久近 念々不捨者 是名正定之業 順彼仏願故 中国、善導大師という方の言葉。 いつでも念佛申せ。常に。是は正定の業と名づく。 弥陀の本願に順ずるが故に、と頂きます。 念佛はわたしが選んだ行ではない。 法蔵比丘が本願…

どうしたら、どうしたら

答えが見つからない。 探しても、探しても、見つからない。 どうしたらいいんだ。どうしたら解決できるんだ。 頭の中でどうどうめぐり。 自分では答えが出せない。 どうしたら、どうしたら。どうしたら、どうしたら。 念佛が心に響いたとき、一つの結論が浮…

大事なのは今

過去、現在、未来。 過去があって、現在があるし、 現在があって、未来がある。 これが普通の考えだと思う。 でも、浄土真宗では、「今」しかない、と聞かせて頂きます。 あなたは、今に満足してますか? 僕はずっとできなかった。むなしかったし、生きてい…

最近の課題

最近の課題は、「わが身」と「煩悩具足の事実」について、です。 しかし、これについて、真宗聖典(七祖編)を拝読し、少しずつ 学ばせて頂いています。 結論は「空」であり、一切のものは「縁起」によって生起している、 ということを教えて頂きますが、わ…

今、自分を受け止めたい

自分は仏に成りたいという心も、よくわからない。 浄土に往生と言われても、よくわからない。 自分にとって大事なのは今なんだ。今しか自分にはないんだ。 死んだ後のことじゃなくて、今、自分が存在している、現在が大事なんだ。 梯実円という先生が教えて…

浅ましい故の弥陀の本願

言葉では、とても言い表せない浅ましさを抱えている。 自分には、他人を思いやり、他人の痛みに心を通し、ともに傷む、 涙を流す、そういう感受性、共感性が全然ない。 本当に自分だけよければ、わが身だけよければそれでいいのだと思う。 そういう浅ましさ…

私を変える力

柔らかいことは、堅いこと。 堅いことは、柔らかいこと。 しなやかであり、凛としている。 川の流れのように、石の形に身を任せ、障りをかわす。 哀しみも、孤独も、現在の一切は過去の自分の足跡。 自分を許し、与えられた今に感謝する。 そこには、自分の…

夢告の意味

親鸞聖人の夢告の意味が、曖昧な感じだった。 実感に乏しく、ピンとこなかった。 往生要集を拝読し、身に堪え、実感が伴った。 罪人は地獄で、獄卒に叫ぶ。何ぞこれは、なぜ私は、こんな目に遭うのかと。 獄卒は答える。 汝は、造悪の業因によって、悪果を受…