むなしさとともに

悲しみが尽き果てるまで共に在る twitter https://twitter.com/oujouwogosuru?s=09 

浄土真宗

無常と本願力を想う

気がついたら、3月11日。 無常が大勢の人にいっぺんに押し寄せてきた日。 それに対し、同情や追悼の心が続かず、毎日の自分の有様にしか、 関心を示せない自分は、一方で生かされている。 今生は、道理に合わないことが沢山ある。 いくらまじめに生きていて…

受け止める②

受け止めるということを、聞かせて頂くご縁にあった。 受け止めるということは、 自分自身が、ひとりで生きられるものではなく、 様々な人、もの、支え、営みの中で、生かして頂いている、 存在させて頂いているという事実に気づく、ということ、だと。 むな…

今生の意味

信心とは、仏性であると教わる。 本願の名号の因、光明の縁が和合円熟し、 仏性が備わると味わう。 信後の命がある意味は、すなわち、一人でも多くの人と縁を持つ、 ということなのではないか、と思った。 今生の縁が尽きると、浄土に往生し、仏に成れば、一…

諸仏称名の願成就

今日も良きご縁頂いた。 その方は直接お会いするご縁はなかったけれど、 その方の育てた先生から教えて頂いている。 今生の命が終わっても、今もなお、影響を与え続けている。 御縁を頂く度に、お念仏への気付きが、より深められるような そんな気がする。 …

受け止める、許す

受け止める。 この言葉が引っかかる。 何を受け止める? 現在の自分を、自分の有様を。 目を逸らさず、ようこそと受け止める。 浄土真宗の救いとは、 過去の歩み、自分自身の存在全体を許すことかもしれない。 その受容、許容は、無量寿、無量光を根源とする…

因果の道理ってわかるのかな

何を以って善とし、何を以って悪とするのか。 本当に汝の行は、善といえるのか?と問われている。 自分を基準にした善、悪はその時々、感情、条件、立場に よって常に虚ろう。これを虚仮、不実の行と親鸞聖人はおっしゃったのではないか。 本当にそれは善行か…

何の力もないからこそ

目の前で泣いている人が居ても、その人の悲しみを 自分の悲しみとして、受け止めることができない。 少しは理解してあげられる、あるいは、 理解したいと思っていると、思っていた。 でも、自分には、その共感性、感受性が、まったくない。 少しある、ことと…

追記あり 生きてよし、死んでよし

浄土真宗、親鸞聖人の教えは、 本願を信じ、念仏を申さば、佛に成る、と頂きます。 現生では、本願力によって初歓喜地、不退転の身とさせて頂き、 娑婆の縁の尽きたとき、浄土へ往生し、佛と成らせて頂く。 苦しい、つらい、現実をさしおいて、 浄土へ往生し…

念佛を聞思する

念佛は、無量寿如来の名乗りを聞くこと。 汝を必ず引き受ける。今生は汝の足となり、汝を支える。 今生のお別れをするとき、一息が切れたら我が浄土へ往生させ、 成仏せしめる。我が名を称えよ。 これが、南無阿弥陀仏、口にただ、なむあみだぶつと 念佛を申…

備忘)無知について

どうして、衆生は無常のものを求め、 それを渇望し、それさえ得られたら幸せになれる、満足できる、と 固く信じているのだろうか。どうしてそういうことになるのだろうかと。 自分の体を通して、気づいた。 結論は、智慧がないからだ。 智慧がないことは、無…

内観

逃れがたい苦しみ、かなしみは、人間の感情を純化する。 誰にも理解されない孤独も、同じことが言える。 だから、決して、逃げてはならない。 ひたすら凝視する。 この心の動き、うめきは何か。 何を苦しんでいるのか。 その果ての極限に、転じることがある…

わが身に感謝する(本願を通じて)

阿弥陀如来の本願と聞く。 では、本願とは何ぞや。 本願とは、どうにもならない私を、今生から、引き受け、共に歩むぞ、 汝いちにんのための本願じゃぞよ、と聞く。 では、本願とは、どこに成就するか? どこでもない。わが身、わが宿業に成就する。 では、…

矛盾と平等

平和は尊い。人はみな平等である。 頭で理解している、あるいは、これを思わない人はごく少数のはず。 なのに、なぜこの世界は、戦争や暴力、差別、貧富の差が 存在するのだろう。 ここにヒトにとって、根本的な矛盾を感じる。 畢竟、理想が全くかなわないの…

仏に背く

人を欺き、馬鹿にし、嘘をつく。 廃悪修善ができません。 善悪邪正も是非もわかりません。 悪なのだろうなと思うことならいくらでもできます。 生き物の命を奪わなければ、どうしても生活が立ち行きません。 仏に背き続けている、仇をなし続けづめが、自分と…

自力は廃る

言葉は不自由。完全に表現する、言い当てることができない。 雑行雑修自力のこころをふりすてて、と聞くと、 どうしても、わたしが主体になる。 しかし、今はそれは違うと思う。 自力は廃る。慈悲を聞けば、おのずと廃る。 それは、かさぶたが自然にはげるよ…

ちゃんとみてござる、きいてござる、ないてござる

まじめにやっていても、結果がでないとか、 誰にも認めてもらえないとか、 むしろ、不真面目な人が評価されるとか。 ばかばかしくもなる。 でもね、阿弥陀さんは、見てござる。 阿弥陀さんは聞いてござる。 阿弥陀さんは、目には見えなくても、寄り添い、あ…

せめて外面だけでも

外に賢善精進の相を現じて、内に虚仮を抱くことを得ざれ(善導大師) 外に賢善精進の相を現ずることを得ざれ、内に虚仮を抱けばなり(親鸞聖人) 親鸞聖人は、善導大師のお言葉を、あえて読み替えられている。 あえて。 内面は、常に誰にも云えないものを抱…

自分が問われている

慚は人に羞づ、愧は天に羞づ。これを慚愧と名づく。 無慚愧は名づけて人とせず、名づけて畜生とす。 (真宗聖典p275 教行信証 信文類) 今日のお話の中で、自分は、果たして、ひと、なのか、 畜生なのか、を問われた気がした。 正直、自分は無自覚で、うま…

終わりなき歩み

即得往生とは、有余涅槃のことである、と聞かせて頂きました。 余りがある、涅槃。 余りとは、肉体、我が宿業の身、煩悩具足のわが身と味わいます。 そして、この世の縁が尽きるまでは、宿業をひきずりながら生きていく。 でも、宿業に引きずられない。苦し…

南無不可思議光如来

浅ましい、恥ずかしい、それでいながら、 普通の人間のふりをして生活をしなければ、生活が立ち行かない。 悪業を一つも止められない。止める力がない。 善悪も一つもわからない。わけのわからないことをするしか、 生きようがない。 これが、自分の正直な姿…

選択本願念仏

自分は迷う。 迷うのは、どちらがよいか、どっちが得するか、それを計るから迷う。 阿弥陀さんは、自分のことを深く、深く、ご存知で、 沢山あったら迷うだろうと、お念仏一つを選び、 声の仏、言葉の仏にまでなって下さった。 お念仏申させて頂くことで、阿…

岐路

有名野球選手が逮捕された、と報道を見て、 無常を思う。 甲子園で、プロ野球で、活躍した姿から、 誰がこうなることを予想できただろう。 自分も、家族とテレビ中継で、ホームランを打った姿とか、 そういうのを見たことがあるだけに、どうしてだろう、と思…

無常を勝縁に

それ人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、おおよそはかなきことは、 この世の始中終、まぼろしのごとくなる一期なり(御文章 白骨の御文) 今日は、とても寒い。 手足、つまさきまで、ひんやりする。 誰もが老う。 いやでも病気にかかる。 いずれは、たった…

清沢満之先生

我信念というご著書があります 先生のことは最近存じ上げたのですが、生は長短ではないと 思います。 もしよければ、ご覧になって下さい。 www.aozora.gr.jp/cards/001211/files/45629_23864.html 有難く存じます。 16/02/06追記 本当の満足とは、絶対に私を…

ひかりと闇を想う

僕は、本当に死に掛けたことがあります。 これは、身体の不調というか、心の不調、 つまり、心が死に掛けたと思っています。 厳密にいうと、自我がわたしを襲ってきた、といえるかもしれません。 自分が自分を否定する。それが繰り返され続ける。 延々と。 …

まこと、とは何だろう

自分が気になることに、顛倒がある。 顛倒とは、ひっくりかえってしまう、ということだ。 信じるものが、ひっくりかえる。 都合や立場でひっくりかえる。 自分の意思もひっくりかえる。 自分は、わが身が一番かわいい。 自分の生存が脅かされたとき、強い悪…

本願力に遇う

他力とは、本願力である、と教わります。 では、本願力とは、一体なんだろうか?と考える。 それは、本願をわたしいちにんの上に、必ず、絶対に成就させる、という 強い力。逃げるものを追いかけて、抱きかかえる不思議な力。 阿弥陀さんが、わたしを信じる…

16.5.10追記)聴聞

結局、自分自身の生きている意味を見つけるためには、 末とおりたる慈悲に、全託する以外に術がないように思います。 まかせる、ということは、託すことだと思います。 では全託するには、どうすればよいか。 ただ念仏して弥陀にたすけられまいらすべし、の…

朝な朝な、夕な夕な

「朝な朝な仏とともに起き、夕な夕な仏をいだきて臥す」 安心決定鈔(末)に出てくるお言葉です。最近、拝読しました。 おー、いい言葉だなと思いました。 憶念弥陀仏本願 わたしが弥陀を憶念するのではなく、弥陀がわたしを憶念してくださっている。 その心…

宗教的直覚

結局は、いちにんいちにんが、 直接本願に遇うか、遇わないか、直接経験でしかないと聞かせて頂きます。 私には、他の方の心がわかりません。 でも、きっと他の方には私の心はわからないと思います。 よって、他の人が自分以外の方の信仰を批判したり、 あな…