むなしさとともに

悲しみが尽き果てるまで共に在る twitter https://twitter.com/oujouwogosuru?s=09 

2019-01-01から1年間の記事一覧

十地の階梯⑦九地 善慧地、十地 法雲地

ここからは少しも読めません。わからないのです。わからないことは、わからないのであります。だから、書くこともできない。 六地以降も同じでした。全く読み進めることができない、暫くして、少しずつ、読み進める。こういう進み方です。でも焦らなくていい…

十地の階梯⑥八地 不動地 無功用

参考 大乗仏典⑧十地経(荒牧典俊訳)中央文庫p243 かの菩薩にとって、主観客観の概念作用(ニ行)も個的実体の概念作用(相行)も、もはや、いかなるものも、いかなるしかたでも、あらわれない。 菩薩がこの階梯に入ると、七地までとは、全く異なる段階に達…

雑感

人間が救われるとは、念佛を通して佛の底知れぬ真実なる大悲に出遇い、まことの言葉、即ち、佛語と世間に含まれている、佛からの暗号によって教化されていくこと。即ち念佛往生が阿弥陀佛の救いのはたらきである。暗号の概念はヤスパースも示唆して下さって…

2泊3日研修会(無事終わりました)

このブログを見て下さっている方がどのような皆様なのか僕は存じ上げません。しかし、恐らく人生に対して、何らかの課題や疑問を持ち、立ち向かっておられる方々じゃないかなと思うのです。なので、もしよければ共々に聴聞の場でお会いできたら、とそういう…

迷いの直視、智慧の光明

煩悩はいよいよさかっている。悪性も止まない。浅ましいと思うが、やめられぬ。ここに一瞬の痛みがある。嘆くことなかれ。痛みは何によってもたらされているか。即ち智慧なり。光明なり。悪性を悪性と照らしいだす智慧なり。智慧がまことで、われは虚仮不実…

十地の階梯⑤六地 迷いの因果

参考 大乗仏典⑧十地経(荒牧典俊訳)中央文庫p186根本の真理についての無知がはたらいて条件となっているかぎり、まよいの存在の構成要素も、つぎつぎに存在しつづける。もし、根本条件やさまざまな条件が、すべて滅亡してしまうならば、それらもつぎつぎに…

ゼロとイチは違う

何もないところから、何かを生むのは大変だ。他者はこのイチを軽んずる。しかし、自分は身を通して体解する。ゼロとイチは質の異なるものであることを。イチの中には目に見えぬものが籠もっていることを。相を通して、相を相たらしめているものを直覚する。…

閑話休題

偏らない。このことを初期の教典には繰り返し書かれている。最近、仏教の本をしっかり読もうとか、学ぼうとか、身につけようとか、そういう気持ちがない。どちらかというと、世間的な知識、技術、思考に重点がかかっている。どうやら、やじろべえのように、…

十地の階梯④明地 多聞決定

参考 大乗仏典⑧十地経(荒牧典俊訳)中央文庫p104般若の智慧なるものは、教えを聴聞することにはじまると思惟して、そのように知って、菩薩は勇猛に努力をはじめる。原文の書き下しを添える。 無礙解脱等の諸の仏法は、何をか以て本と為すや。聞法を離れざる…

十地の階梯③歓喜地 死の畏れなし

参考 大乗仏典⑧十地経(荒牧典俊訳)中央文庫p41 (3)かの菩薩は、自我に執着する妄想(我見)が消滅している。したがって、自我の観念も存在しない。それゆえに、かの菩薩には、死んでしまったらどうしようという不安もない。 煩悩は見えると力を失う。明…

十地の階梯②歓喜地 不活の畏れなし

参考 大乗仏典⑧十地経(荒牧典俊訳)中央文庫歓喜地 p42 五種の不安の解消(1)生活していけるかどうか(2)名声にありつけなかったらどうしよう(3)死んでしまったらどうしよう(4)苦悩に満ちた存在に生まれるかもしれない(5)説法会にあって、おどおど…

十地の階梯①何の意味があるのだろうか

参考 大乗仏典⑧十地経(荒牧典俊訳)中央文庫 十地経は菩薩の階梯を十で表して下さったお経であります。浄土真宗では、浄土三部経が中心なため、あまり縁がないかもしれませんが、非常に大切なことが示唆されたものだと感じます。親鸞聖人の顕浄土真実教行証…

何が燃え続けているのだろうか

夢を見た。炎が燃えている。この炎は自分が点けてしまったのか、他者が蒔いたものなのか分からない。忽然と点いたものである。 何が燃えているのか分からない。ただ、燃えているそのものは自分が拵えてきたものに違いない。ひどく黒ずんでおり、もうすでに焼…

もう一度立ち帰る

唯識を読んでいた途中で、心が移り変わり、 専ら経済や仕事の本を手に取っています。 知らないことばかりで、また、世間には 立派な方が沢山いるのだなぁと感じます。 他者になる必要はないのですが、優れた 思想、実践、過去の軌跡は知りたいのです。 現実…

念佛に打ち込むべし

わが思いはからいに囚われることなく、 ひたすら一途に専ら念佛すべし。 念佛は大悲のかたちなり、 かたちなきものがかたちをとってあらわれて くださったまことのかたちなり。 念佛の出処はすべて法蔵菩薩の願心。 一念一刹那も清浄ならざることなし。 され…

正直な気持ち

唯識は難しいと聞いたことがあるが、 実際すごく微細で、言葉も難しい。全然 わかりません。 最近は真宗のお聖教ではなくて、唯識の 本をゆっくり目を通している。 煩悩に対する分類分析も細かいし、 歓喜地、信心決定がどういう意味を 持つかも表されている…

行が問題だ

具体的現実で問われるのは、実践、即ち 行である。対己に関しては、唯念佛一行、 これのみである。 対他者に対する具体的実践が、 六波羅蜜である。 軟らかい言葉。孤独と無関心への忍耐。 差入。 自分自身を賭けて念佛を表現する、 阿弥陀佛の本願が実在す…

溺れる夢

濁流に流され、川底に引きずり込まれる。 息が吸えず、苦しい。誰かが足を引っ張る。 溺れた人は自分だけではなかった。 大勢の人が濁流に呑まれ、自分もまた 沈んでいく。 味わった息苦しさと足を掴む力は 生身で感受する以上に現実味を帯びていた。 さて、…

自身に引き当てる

社会の問題に自分はどう関係するのか。 なぜこういうことが起きてしまうのか。 この結果に至るまでに、この人はどういう 日々を過ごし、誰に会い、 何を教わったのか。何がそうさせたのか。 本当の理由、それに至った経緯は他者には おろか本人にも分からな…

残響

聞法会の残響が鳴っている。 残響、薫習、修道という言葉には 何ともいえない大切なことが含まれているが 言葉は迷いの範疇のものなので、 とても表現することはできない。ただ、 梵鐘の音が暫く鳴り続いていて、静かに 解けていくような。 そして、また日常…

助かるということ

念佛称えて助かるのではない。 如来を信じて助かるのではない。 念佛にまでなって下さった大悲。 助かるまじき存在たる我を助け遂げずば おかないとまで誓って下さった 大いなる大悲の願心。これを聞く一つで、 行信、他力の大菩提心まで回向して下さる。 こ…

静けさ

静けさを希求している気がする。 物事が終わり、尽き果てる静けさ。 始まる前の静けさ。 静かだが、脈打つ静けさ。風雪に耐え、 一途に春を待つ桜の木のような。 なんとも言えないが、 やはり寂静寂滅という言葉が相応しい。 寂静寂滅は逃げることではなく、…

暫くツイッター中心かと存じます

長い文章ではなく、 端的にやってみたくなり、ツイッターを 再開しました。 ナナシ (@oujouwogosuru) 僕はグラブルをしているもので、 キャンペーンのリツイートが残っていますが あしからず(笑) 凡夫であるということは、大いなる悲しみで ありますが、一…

油断せずにいこう

まだ道は半ば。否、半ばにも達していない。 でも、確かに始まっている。 油断せずにいこう。慢心というぬかるみに 足を取られるが、着実に一歩ずつ。 転けてもまた立ち上がろう。擦りむけは いずれ治る。 南無阿弥陀佛

ともに歩む

自分だけ助かって終わるのではなくて、 同じ地平に立ってともに本願念佛を仰ぐ。 ともに尋ねていく。ともに聴聞する。 そこには自分一人では決して辿り着けぬ 何かがある。それを寂静とか涅槃というのだ と思う。すべて終わった世界。また始まる 世界。往生…

マシだと思う心(追記あり)

A>B A=自分 B=他者 できないより、できる方がいい。 ないより、ある方がいい。 自分はあの人よりマシだ。 この心が流転の根、地獄の元であろう。 死骸のような心。腐り切った心。 どうしてもこの心を離れることが できない。故に無始より流転しているから…

ニヒリズムを超える

ニヒリズムを超えることは、 人間の知恵、分別知では難し。 意味を見出し続けることは非常に困難で あり、果てがない。 もしも、超えることがあるとすれば、 自分の感情、感覚をさしおき、相手に しないこと。むなしさはなくならない。 悲しみもなくならない…

聖胎長養

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/聖胎長養 また言わく、信は道の元とす、功徳の母なり。 一切もろもろの善法を長養す。 (親鸞聖人 顕浄土真実教行証文類 信の巻) 華厳経のお言葉を引かれておられる。 念佛往生とは念佛の信を長養することだと 思う。現実…

一隅を照らす

誰からも見向きもされず、大事にされず。 代わりは幾らでも居て、不安と老いに 怯えている。 だからといって、何もしない訳にはいかない。 弱者には弱者の意地があり、家族があり、 内に秘めた涙もある。 だからこそ、黙ってすべきことに 打ち込む。ことと一…

共に苦悩するよ

助かるとは、一体どういうことか。 即ち、雑行を棄てて本願に帰すということは 如何なることか。 安田理深先生の言葉があった。 その自覚で苦悩から助かるという意味でなしに、本当に苦悩できるという意味で助かるのではないか。 苦悩がなくなって助かるので…