むなしさとともに

悲しみが尽き果てるまで共に在る twitter https://twitter.com/oujouwogosuru?s=09 

2016-01-01から1年間の記事一覧

持たないと持てないは違う

あるか、ないか。 損か、得か。 好きか、嫌いか。 分別心には、二つしかない。二つしかないという事は堅いということ。 柔軟、寛容が欠落している。 自分の思いにそぐわないこと一切を許せないということ。 これが分別心、我執の心である。 残念ながら、世界…

決定的な出遇い

あの人に出会わなければ、今の自分はなかった。 あの出遇いのおかげで、今がある。 人と出会うのは不思議なことだ。 出会おうとして、出会えるのではなく、たまたま出遇う。 声が聞こえた。 本当に決定的な出遇いが、人間には起こる。 生死流転を六道輪廻と…

笑っていますか?

心の栄養は足りていますか? 心の栄養とは、感動であり、驚きであり、感謝であり、笑うことだと思います。 この身は、常に代謝を繰り返しており、様々な栄養を摂取しなければ、 維持することができません。たんぱく質、糖分、カルシウムetc 栄養が足りなけれ…

いよいよ聞き続ける

いよいよ聞かねばならない。 いよいよ自分の思いが、ますます破られ続ける。 破られることは、驚きであり、感嘆であり、悲歎でもある。 ますます自分の身の現実、心のありようを見せ付けられる。 あぁ、そうであったか。本当に思いの中から一歩も出ることが…

依るべきもの(たのむべきは弥陀一佛)

『たのむべきは弥陀一佛、よるべきは念佛一行、 そのことにいったい何の不足があるのか』 和田先生の言葉(信の回復(東本願寺出版部)P182-183) 本当に当てになるものは、一体何か? 本当に自分を大事にするということは、一体どういう事なのか? 思いに…

追記あり 善悪のふたつ総じてもって存知せざるなり

仏法を聞く、聴聞することを「善いことだ」と思っていないか? 「善い」から聞くのではない。 「聞かねばならない問題」を抱えているから、聞かせて頂くのであって、 「善悪」の区別のうえに、「善」を選んでいるから聞くのではない。 「善悪」に立って、仏…

土台を大切にする

幼いころ、スポーツ、勉強をするにしろ、基本をないがしろにしていた。 意味がわからないから。地味で目立たない。 歳をいくばくか重ね、ようやく気づく。 基本とは歴史であり、歴史には歩みがあり、根拠がある。 お釈迦様にせよ、イチローにせよ、道を歩み…

ただ聞いていく

小慈小悲もなき身にて 有情利益はおもうまじ 如来の願船いまさずは 苦海をいかでかわたるべき(愚禿悲嘆述懐和讃) 親鸞聖人の和讃が身にしみる。本当におっしゃるとおりだと思う。 自分が誰かの役に立つとか、力になれるとかはうぬぼれであり、 自分はもう…

勝利の影に涙あり

オリンピックを見て思う。 勝者がいれば、必ず敗者がいる。 ガッツポーズの向こうには、落胆がある。 日本という立場に相対して、日本以外の国がある。 金、銀、銅のメダルを獲るものと獲られないものがある。 金、銀、銅とそれ以外の優劣がある。 結果を獲…

まことの人から聞かずにおれない

本当に如来の意を説いてくださる方の話は、 聞かずにはおれない。 そこに血が通っているから。時には涙も出てしまう。 本願には、選択本願念佛には、血が通っている。 躍動し、生きている。 善知識は、特定の個人だけを指すのでは、決してない。断言できる。…

貫く光

無碍光を有難く思う。 無碍光を味わうに、わが身我が心の在り様を、一切問わないという心。 汝の心身に一切を期待しない。要求しない。一切とはゼロである。 汝ただ我が名を称えよ。 はい、南無阿弥陀仏。 本願に相応し、前念命終 後念即生(愚禿抄) わたし…

身を粉にしても骨を砕きても

如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし 師主知識の恩徳も 骨を砕きても謝すべし 今まで自分が御恩報謝すべきと思っていた。 でも、ふと気づいた。 自分のために無量永劫、既に身を粉にし、 骨を砕いて、どんなに苦しくとも、汝のためならと、 笑顔で命を…

結果は知らない、ひたすら歩む

気がついたときから、常に自分の行動、他者、社会との関係性において、 見返りを求める歩みだった。 しかし、それが自分にとっては、どうしてもむなしいことだった。 むなしい、というのは、意味がわからない、ということだ。 何もかも。周りのひとが楽しそ…

自力とは幻の如し

自力。 言葉の雰囲気からして、自分の力。自らで自己の人生を切り開く。 努力。 そもそも、自分の力とはなんだろうか? 草花が日光と水を用いて光合成をする。 自活しているように思っていたが、日光と水を用いている。 動物は、いわんや、他の動植物から栄…

本願名号正定業

本願の名号は正定の業なり、至心信楽の願を因と為す(正信念佛偈) わが身、我が心の有様、これまでの歩みがどんなに頼りない歩みであろうと、 一切関係がない。 本願の名号が往生を決するのであって、自分が介在する隙間がない。 そして、それを如来で申せ…

この身を生きる

今こうして人の身を頂いているということの意味を問う。 自分が人として生まれざるを得ない理由があったのだ思う。 この世をお釈迦様は、娑婆世界と仰った。 娑婆世界では一切が無常である。 そして、そこに住むものは、煩悩具足の凡夫。 歎異抄にはこうある…

さるべき業縁

たくさんの方がお亡くなりになった事件が起こってしまった。 詳細はまだ見ていないから分からないけれども、 とても他人事とは思えない。 世の中には、信じられないような出来事が次々と起こっており、 実際に世にあらわになることは、氷山の一角に過ぎず、 …

自分を取り戻す佛道

真宗とは、自分を取り戻す佛道であると頂いた。 凡夫が凡夫になっていく。ありのままの自分を受け止めていく。 親鸞という方は、それを自らの身を通して歩んでくださった方であり、 だから、僕らと距離が近い。遠くない。 自我という殻を破り、本当の自己を…

悲心招喚

無視されても。 どんなに苦しく、孤独であっても。 どんなに時間がかかろうと。 喚び続ける。決して諦めない。忍終不悔の心。歩み続ける。 これが如来の大悲。 選択本願の念佛とは、如来の大悲が背景にある。 だから、わたしが分別し、わけのわからないもの…

思いだけで生きている

楽がしたい。 好きだ。嫌いだ。 こうしたら、損しない。 見事に、こればっかり。ですね。 改めて、びっくりしています。 和田先生は、「人間の求めるものは皆妄念妄想」と仰ったと聞かせて頂きました。 そんなことない。そう思ってきましたが、この言葉のと…

声が届く

誰かを変えよう、変えようとしていた。 思い通りになると思っていた。 違うなぁ。 いくら変えようと思って、何かをしても、がんばっても、何一つ変わらない。 なぜか? 思いが届かないからだ。変わるか、変わらないかは、 相手に委ねられている。相手が変わ…

佛に頭が下がる身

不思議なご縁で、合わなかった手が合い、 佛に合掌し、頭を下げざるを得ない身、そして、 お念佛申す身に仕上げて下さった。 このことを、改めてとても不思議に思い、有難く思う。 どれだけの時と手間をかけたことか、分からないけれど、 自分の居場所、自分…

専修念佛

もっぱらこの行につかえ、ただこの信をあがめよ(教行信証 総序 親鸞聖人) 本願の名号は正定の業なり、至心信楽の願を因とす(正信偈 親鸞聖人) 一心専念 弥陀名号 行住坐臥 不問時節近久 念念不捨者 是名正定之業 順彼佛願故(観経疏 善導大師) 自分の往…

仰せのままに、そのままに

www.weblio.jp そのままとは、今までの状態のとおり。あるがまま。と出ています。 そして、今までの状態のとおりとは、今現在の状態と頂きます。 乱れ心のまんま。 わけのわからない心のまんま。 浅ましい心のまんま。 疑いをもったまんま。 悲しいなら悲し…

仰せのままに

本願の仰せを、そのまま聞くばかり。 今の汝のそのままに、我が名を称えよ。 一切は弥陀が引き受ける。 仰せのままに、ただ念佛するばかり。 仰せのままに。聞こえるままに。 自分の思いや考えを傍らにさしおく。横っちょへ置いておく。 読み終わった新聞の…

無限と有限の出遇い

一声の念佛は無上功徳。 二声の念佛も無上功徳。 三声の念仏も無上功徳。 本願の名号、称名念佛は円に無上功徳を具足している。 いや、無上功徳そのものである。 1∞も2∞も100∞も10,000∞も、みな無限である。 無限の中に位置を占める有限だと頂けば、 自分は…

悲しい現実に寄り添う大悲

人は生まれ、歳を重ね、時には病になり、やがて死ぬ。 無常の世に居るということは、一つの事実。 そして、その中で、自分というものは、分別・分け隔てをせねば、 生きられない、この現実。 正邪を分ける基準は、それが役に立つか、立たないか。 この基準に…

今回の学び

本当は聴聞する心はないはずなのだが、 不思議と足を運ばせて頂いている。そして、今年もご縁を頂いた。 今回も新しい発見があり、出会いがあり、感動があった。 忘れる前に記そうと思う。 真宗は自己を見るまなこである。 自己を相対化するために、阿弥陀さ…

凡夫のまま歩む、自分に還る

宝くじ、あたったらな。 あの人みたいになれたらな。 あれがありさえしたらな。 こんなことばっかり考えていたので、それを一度否定した。 けれども、捨てられるような自分ではなかった。 そして、一周して、もとから居た場所に立っている。 今はそういう気…

如来の棄てられたものを棄てる

選択本願の念佛。 浄土真宗の行は、称名念佛の唯一行。 助行を除く、他の一切を雑行とよび、棄てている。 棄てるとは、憑りにしないこと。拠り所にしないこと。 称名念佛は、如来の選びとられた行である。真実の方便である。 五濁悪時群生海 応信如来如実言…