むなしさとともに

一切の悲しみが尽き果てるまで、共に歩む twitter(@oujouwogosuru)

にんげん

後生以外は憑まない

世俗化までした宗教こそ根が深い。どこかの神社のご利益とか、縁起物とか。自分には全く必要ない。一向とは雑ざらない、躊躇がない、後悔しない、二心なく一心である。後生以外に佛を憑むことはない。この世では精一杯自分をやるだけだ。病気だろうが、馬鹿…

挫折を通して道が定まる 追記あり

人間にとって最も大切なことは何か。僕は、その人に道が定まっているかどうか、だと思っている。道というと、抽象的に思われるかもしれないが、道とは、方向であり、原点である。至るべきところ、現在地、自身の現実、これらが見えているかどうか。三者を把…

原点に帰る

年頭につき、自身の抱負を記す。原点に帰る。この一年はこういう年にしたい。こう思うのには、二つ理由がある。 ひとつめに、最近、しきりにこう思う。基本が大切である、と。達人で基本を疎かにされた方は、恐らく、ただの一人もいないはずだ。須く基本に徹…

人間の罪、自分の罪

夕食の準備のため、買い物に出掛ける。沢山の人がスーパーに来ている。陳列された棚に微かに動くものがある。活きエビが並べられている。弱々しくもまだ確かに生きていた。 水揚げされてからどのくらい、生きていられるものだろうか。 少し立ち止まり、すま…

助けられている

独りでは生きていけない。必ず誰かに力を借りて、毎日を送っている。だから、情けは人の為ならず。誰にも迷惑をかけてはなりません。こう教わってきましたが、僕にその生き方はできませんでした。沢山の人に支えられ、いのちに支えられ、今を生きています。…

もはや道なし

念佛の他にわれ道なし。まことの大悲の仰せに従い、念佛して生きていくよりほかに何もなし。宇宙の一切から見捨てられても、如来常にわれとともにまします。この一点は不退である。疑いあることなし。煩悩の根本を破る、汝を必ず浄土に生まれさせると誓って…

一切の悲しみが尽き果てるまで

これが自分の願いであります。ずっと見失っていた願い。埋もれていた願い。むなしさは願いを見失っている証。願いを持って、諸人と、衆生と共に生きる。心をすがたに現す。やっと願いを奪い返すことが叶った。あとは、具体的現実において、願いを表現してい…

善悪のふたつ総じてもって存知せざるなり

いつも善悪で迷っている。どうすればいいのだろうか、と。しかし、誰にとっての善悪か。それを計るのは誰か。自我、自分に真の智慧なし。故に総じてもって存知せざるなり、と仰る。時と場合、状況、心境によって自我の物差しは変わる。自身を守るために。誠…

忍耐、薫習、純熟

この1年は改めて、忍耐を学んだ時間でした。六波羅蜜の中で、忍辱とも言われ、基本的な在り方とされますが、これは骨が折れることを身に沁みて感じたのであります。そして、今も試されているというか、ただ中にあるというか。特に人を育てるということにおい…

破り続ける

とどまる訳にはいかない。停滞は退化だ。形を示すのには、痛みが伴う。こんな基本的なことを初めて実感するとは、本当にどうかしてる。仏様にここまでさせてしまったことを懺悔しなければならない。仏の血と汗と涙から南無阿弥陀佛のお相を示して下さってい…

愛とは行為である

今年、感銘を受けた言葉で、とても驚いた。サーバント・リーダーという本の中に出てきた言葉です。 今の自分の問題は、行である。身心意の三業が一体となっているか。 思ったならば、形を表せ。 形なき思いは空想に過ぎない。手を動かす。矢面に立つ。柔らか…

願いを込めて

願いを込めて、ひとと相対している。まず願いが根底にある。出処は願いなのだ。だから、ひとの好き嫌いや、仕事の選り好みは自分にとっては、低い次元の話で、そのような ことはどうでもよい。質の高い仕事を。質の高い在り方を。気高さとか、誇りとか、もう…

今日まで生きてきたこと

生存は苦である、他の犠牲を強いる自己の生存に僕は悲しみを感じる。かといって、死に偏ることは出来ない。否、死ぬのが嫌なんだと思う。ただ、この37年間の生存のうち、32歳から、今に至るまでは、一応は生きてきた、人の身を生きたと言える。そして、沢山…

浄土の大菩提心

悲しい現実はたとえ何も変わらないとしても、誰も関心がなくとも、やり抜く。諦めない。必ず形が心を貫く日が来る。心を射抜く日が必ず来る。道半ばで刀折れ矢尽き果てても、道を継ぐものが現れる。 道は続いていく。往生は道なり。尽き果てぬ道なり。 悲し…

僕はとてもとても悲しい

暫く頻度を落とします。考えつつ、動く。動きつつ、考える。最近は、お寺へ通う機会もかなり絞り、先生も絞っています。その中で、相続下さるはただ念佛の一行であります。他者をどうこうするとか、他者はどうだとか、僕にはもうどうでもよい。専ら仏様の心…

生存における緊張感

日常が再び始まった。自分の在り方が試される。柔らかさの中にしなやかさ、いわゆる厳しさも含んだ上で、やりとりせねばならない。労働を提供する代わりに賃金を得る。賃金を得るなら、質の高い労働を模索せねばエントロピー、すなわち、無常に苛まれ、劣化…

余韻

輪が鳴り、静かに止むまでに余韻がある。微かに音が響いている。それに似た何とも云えぬ残響の中にいる。明日からまた日常が再開する。また勝負が始まる。自分との対峙。沢山の方のお話を聞けて良かったと思う。ともに、凡夫がいる。沢山いる。僕もまたその…

自然なる思案

十牛図という譬えがある。見性を通り、一周回って元に戻る。元に戻ったが、実は全然中身が違う。そして、最後は市井の人として、人々と交わり、酒を呑み、談笑し、伴に涙を流し、死んでいく。こういう格好つけない普通の姿に心惹かれる。なぜなら、全く無理…

忘れてはならぬこと

われもかれも、ただびとなり。 このことを忘れて高いところに行こうとする。人間は高くて明るいところが好き、 低くて暗いところへ行こうとしない。むしろ、避けるし、忌避する。しかし、身が大事なところなのだ。だって、自分の存在の現実、実際でありまし…

人間の本質(V.フランクル) 

人間存在はそのもっとも深いところでは、また究極的には、受難(Passion)であるということであり、またそれが人間の本質であること、つまり苦悩する者、ホモ.パティエンスであるということである(V.フランクル 苦悩の存在論p121 新泉社) パティエンスとは…

誰かのせいにするのは終わりだ

誰かに何かを期待していた。きっとわかってくれるだろうと。わかってくれない彼らが悪いと。随分そうしてきた。もうそういうことは終わりだ。誰もわからまいが、自分はやる。不完全だろうが、具体的に手を動かし、汗をかく。具体的に動く。心を動きで表す。…

むなしさを大切にしたい

そのむなしさを信頼しなさい。 かつて、和田綢先生が仰った言葉と聞いている。 振り返ると、物心がついたのは、おそらく、四歳くらい。幼稚園の記憶。同じクラスの子たちは淡々と折り紙を折っていた。でも、僕は全然折れなかったし、折り方を覚えることもで…

2泊3日研修会(無事終わりました)

このブログを見て下さっている方がどのような皆様なのか僕は存じ上げません。しかし、恐らく人生に対して、何らかの課題や疑問を持ち、立ち向かっておられる方々じゃないかなと思うのです。なので、もしよければ共々に聴聞の場でお会いできたら、とそういう…

閑話休題

偏らない。このことを初期の教典には繰り返し書かれている。最近、仏教の本をしっかり読もうとか、学ぼうとか、身につけようとか、そういう気持ちがない。どちらかというと、世間的な知識、技術、思考に重点がかかっている。どうやら、やじろべえのように、…

十地の階梯③歓喜地 死の畏れなし

参考 大乗仏典⑧十地経(荒牧典俊訳)中央文庫p41 (3)かの菩薩は、自我に執着する妄想(我見)が消滅している。したがって、自我の観念も存在しない。それゆえに、かの菩薩には、死んでしまったらどうしようという不安もない。 煩悩は見えると力を失う。明…

何が燃え続けているのだろうか

夢を見た。炎が燃えている。この炎は自分が点けてしまったのか、他者が蒔いたものなのか分からない。忽然と点いたものである。 何が燃えているのか分からない。ただ、燃えているそのものは自分が拵えてきたものに違いない。ひどく黒ずんでおり、もうすでに焼…

もう一度立ち帰る

唯識を読んでいた途中で、心が移り変わり、 専ら経済や仕事の本を手に取っています。 知らないことばかりで、また、世間には 立派な方が沢山いるのだなぁと感じます。 他者になる必要はないのですが、優れた 思想、実践、過去の軌跡は知りたいのです。 現実…

残響

聞法会の残響が鳴っている。 残響、薫習、修道という言葉には 何ともいえない大切なことが含まれているが 言葉は迷いの範疇のものなので、 とても表現することはできない。ただ、 梵鐘の音が暫く鳴り続いていて、静かに 解けていくような。 そして、また日常…

静けさ

静けさを希求している気がする。 物事が終わり、尽き果てる静けさ。 始まる前の静けさ。 静かだが、脈打つ静けさ。風雪に耐え、 一途に春を待つ桜の木のような。 なんとも言えないが、 やはり寂静寂滅という言葉が相応しい。 寂静寂滅は逃げることではなく、…

油断せずにいこう

まだ道は半ば。否、半ばにも達していない。 でも、確かに始まっている。 油断せずにいこう。慢心というぬかるみに 足を取られるが、着実に一歩ずつ。 転けてもまた立ち上がろう。擦りむけは いずれ治る。 南無阿弥陀佛